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記事一覧

富士は時間の中で姿を変えていく。

2012.03.03 (土)

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富士には月見草が似合うと誰かが言った。

富士は朝日に輝き、沈みゆく夕日に沈黙の燃え滾る
炎を上げて叫ぶ富士

背中に熱い炎を受けて、よいしょとがんばる富士もいい。

美しいハクチョウと朝日を受けて
戯れる富士も、どこか子供らしくていい。

富士は何十、何百の顔を持っている。
美人のようで、歌舞伎のようでもある。

なよなよしいと思えば、
百雷を轟かし、怒り狂い、炎を上げて
ふもとを焼き尽くす。

富士の伏流水は、まろやかでおいしい。
富士の姿は、言葉で言い表せない。

だから富士には、ひ弱な月見草が似合うのかもしれない。

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ご連絡お待ちしております。ファイル 828-1.jpg

標ぼうとした水辺の葦に映し出す富士

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早朝、ハクチョウと戯れる富士

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怒り、愛、燃え立つ富士

                           
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沈みゆく夕日に燦然と威厳を持つ富士

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氷雪に孤高のごとく凛とした富士

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富士は日本一の山だよ

2012.03.02 (金)

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住まいの基本は屋根にあり。屋根は文化だ。芸術だ。
屋根材と外観の材料選びで『素敵』が違う。
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『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』埼玉の瓦屋さん・雨漏り奮闘記

富士は日本一の山だよ。
今年は不動岡の36年卒・理化学部の新年会の幹事でしたのでずっこけるわけにもいきませんでした。

かねてから、妻光子の願望である富士の見える部屋に泊まってみたいと言うことを実行しました。

富士五湖の一つ山中湖湖ホテルを予約しました。
海外に行くと思えば、豪勢に行こうと思いました。

新宿から大月まで特急グリーン車に乗り込みました。
すぐついちゃいました。

小田急で笑ってる富士山の書いてある漫画チックの車両に乗り込み
、中にはいいて驚き,車内が広々しているのです。

その筈、椅子が半分の数しかありません。
しかも、応接セットの感じです。

富士山駅に着きました。
こんな駅あったっけ。
バスの切符売り場のおばさんに聞いてみました。

元の富士吉田駅だそうです。
駅だけ富士山駅になったそうです。
自分たちも、まだ、馴染めていないそうです。

バスが来て乗り込みました。
だんだんと富士山が近づいてきました。

途中昭和大学入口という交差点があり、光子は芳光ときたことを
思い出していました。

でっかい富士が目の前にドカーンと迫ってきました。
ちょっと時間が早かったので、名物ほーとうを食べに行きました。

正月なもので、客で混んでいました。
時間を見計らって、ホテルに行きました。

通された部屋にびっくりいたしました。
特注のサッシで、ガラスが厚く桟がなく2.3m×3.6mくらいあると思える1枚サッシのFIXでした。

素晴らしい富士の長めです。
雪をかぶった、青富士、朝日に燃える赤富士、光子は大喜びでした。

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ご連絡お待ちしております。

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ホテルの部屋より望むでっかい富士。
素敵でしょう。

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ホテルの部屋より朝日に生えて、赤く染まる「赤富士」
とってもおめでたいですよ。

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噴水が凍って氷柱になったものです。
ちょっとした芸術ですね。

                           
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青木が原の樹海のヒバです。でも、溶岩台地の樹海の青木が原に、延々と織りなす「ヒバ」の壮大はすごいですよ。
で栄養がないものですから、樹齢に対して、ひ弱に見えますが、どっこい大きな違いですよ。
盆栽がここまでなったと想像してみてください

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青木が原には風穴・氷穴・蝙蝠穴、自然が織りなす不思議がたくさんあります。
昭和30年代までは、この氷穴は氷室や植物の種の保存に使われたのです。
氷が発芽を抑えたのです。
自然って、すごいですね。
家康も、この氷を早馬を飛ばして、夏にはブッカキ氷にして食べたものです。

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蔵の町、行田を紹介します。

2011.03.11 (金)

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かって「足袋は行田か、行田の足袋」かと言われたくらい繁栄しておりました。

それが光子が小学校高学年になる頃、日本も下駄から靴に履物が変化して行くのです。
それに伴い、足袋から靴下にと変わってゆくのです。

そのうねりの中で、足袋工場は1件、2件、3件と倒産の勢いを増して行ったのです。

光子の話ですと、どうにかできないのかと子供心に思ったそうです。
中には遠くの親せきを頼って学校を辞めていく友達もいたそうです。

光子の義姉の家も倒産して染工所を閉鎖したそうです。
義兄は車が好きだった関係で、タクシーの運転手になって家計を何とかしたそうです。

染工所が隆盛を誇っていたころ、昭和30年頃、まだ車に乗る人が
いなかった頃です。
義兄は子供や光子を乗せてスポーツカーでドライブをしたそうです。
すごくカネ回りが良かったのでしょう。

でも人生、いいことは長く続かないものですね。

行田の足袋は、今で言う、各工場ごとに作業が単純化され、町全体が流れ作業の工場の機能をしていたのです。
日本の全生産量の90%に及んだそうです。
それが出来たのも、藍と綿の生産地が近在に有ったからです。

そして、利根川の水運を使って江戸に運んだのです。
蔵の数では埼玉県一かもしれません。
数にして100件は優に越えます。
良く見て歩きますと、明治村にあるような瀟洒な洋館も見られます。

行田は歴史の息付く街です。
自転車でも借りて足を延ばすのもいいでしょう。
市役所の近くの水上公園はかっての「のぼうの城」の時代の湿地帯を公園化したものです。

そして、最後にB級グルメのフライを賞味してお帰りになうのも、ちょっとした小さな旅の思い出になると思います。

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ご連絡お待ちしております。

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重厚な4カ所の扉ある2階建の足袋蔵です。

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大谷石で築造された2階建の足袋ぐらです。

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瀟洒な円形ドーマーのある永井写真館

                           
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5連棟続きの足袋蔵
こんな連棟の蔵は全国でも珍しいと思います。

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埼玉銘菓「十万石」の本社です。
400m以上離れたところから引き屋の職人がレールに乗せて移築したものです。
職人の技に驚くでしょう。

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行田市には崎玉古墳群のほかに内部を見られる古墳もありますよ。

2011.03.11 (金)

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行田市には色々な古墳群があります。
石田三成が陣を敷いた丸墓山は崎玉古墳群として、宮崎県・岡山県のある古墳群と並んで、日本三大古墳群の一つで、世界遺産に登録しようと、市民が一丸となって、その輪を広げております。

ところが、古墳の内部が見学できる、しかも、聖徳太子につかえていた、物部連兄麻呂(モノノベノムラジエマロ)と言う人物まで分かる立派な石の玄室まで見学できる場所をお教え致します。

場所は国道125号線を久喜方面から熊谷方面に向かって(バイパスではありません)富士見工業団地の藤原町二丁目交差点を左折して下さい。気お付けつけていきますと案内板が見えてきます。
埼玉県の史跡で畑知事の揮毫による石碑も見えます。

この古墳は奈良県にある蘇我馬子の石舞台に匹敵する規模です。
一度見学する価値はあります。
土日祝日のAM10:00からPM4:00でしたら中に入ることもできます。
この素晴らしさにもかかわらず、(埼玉県の公園ですから綺麗に整備されております)見学者はだれもおりません。
独り占めできますよ。

関東の石舞台と言われ、長瀞の緑泥片岩で重さ63トンもあります。
荒川の水運を利用して、筏を組み、鴻巣市あたりで修羅(修羅場はこの修羅を引くときの形相を表しているのです)と言う大きな橇(ソリ)のような物を作り、付き固めた道に丸太をコロように並べ道を作ります。
そのコロを相互に入れ替え、修羅の舳先の2人の勢子が丸太の道と修羅の間に滑石を砕いた石粉を撒きながら何百人と言う人々が引いたのです。
当時は、ロープはありません。
若い女性の髪の毛で編んだロープを用いてひっぱったのです。

この時代の人々が、重機もないのに、こんな巨体な工事が出来たのです。

この大きな石を組み合わせて築造した様子を思いはせて下さい。

宿題です。光の大きな石組をどのようにしてくみ上げたかです。
古代のロマンは尽きないでしょう。
埼玉の変な瓦職人です。
宜しくね。

TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

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関ヶ原時代の鉄砲、大筒の訓練風景。
米たわらがどうしてあるか分かりますか。

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関東の石舞台と言われる八幡山古墳

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発掘調査後の石組は小さくなって復元されましたが良く見て下さい。
元は巨大な石組で出来ていたのです。
元に復元できなかったそうです。

                           
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石の玄室は同時のままです。
すごいでしょう。

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昭和初期の時代の忍町(現在の行田市)街並みです。

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のぼうの城の有る行田市は光子の故郷です。

2011.03.10 (木)

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行田市は妻光子の故郷であり、思い出多いところです。
今回ののぼうの城を読んで、光子は行田市を再認識したようです。
光子が遊んだ幼稚園「高源寺」は、豪勇をとどろかせた正木丹波守が、三成と戦って、忍城を明け渡した後、無くなった人々の霊を慰めるため、正木丹波開基したお寺です。

丸墓山の後立ち寄りました。今から60数年前と変わらず、ひっそりとたたずみ、境内を見回しても、水攻めで亡くなった人々の供養塔たているだけで、60年前の姿だったようです。

妻光子は、正木丹波守のお墓に用意していったお線香手向け、冥福を祈りました。
光子は幼かったころ、本堂で遊んだ記憶をよみがえらせておりました。

それから少し行ったところの清前寺にも寄ってみました。
佐間の口の激戦地の近くです。

佐間の口には妻のおねいさんの塚本家があります。
光子にとっては、行田の街はかって住みなれたところであり、思い出の場所なのです。

幼馴染の友達がいて、昔と変わってしまった風景がいとおしく感じられているようでした。

今の行田市の近くに、忍川が流れ、エビガニ釣りをした地獄橋、かっての刑場跡と思われます。

忍城の三の丸を復元した「行田市郷土博物館』前にある権現様は光子のおばあちゃんが何かにつけお参りしていた家康の東照宮なのです。
同じ場所に諏訪神社を祭ってあることから、お諏訪さまとも呼ばれております。

最後に行田市郷土博物館に行って驚きました。
沢山の拝観客がいたのです。
まだ,映画が公開されておりません。

もうひとつ驚きました。
色々なコスチュームを貸してくれるのです。
ある人はお姫様に・また忍者に、戦国の武将に、アニメの衣装に身を包んで思い思いに、忍城のイメージの中に浸っていたのでしょう。

人通り見学して、帰ろうとしたら、甲冑をつけた正木丹波に扮する
人に写真取りませんか声をかけられました。
おやっと思ったら、『忍城おもてなし甲冑隊』の人たちだったのです。
おもわぬ事の笑みを浮かべ、スナップ写真に収まりました。
「ありがとうございました」と謝意伝え帰ろうとしました。

行田市の物産を売るお店の人が声おかけてくれました。
「おみやげにいかがですか」
話をすると光子の知っている奈良漬け屋の「山本奈良漬け店」の若社長でした。

今日はとっても良い一日でした。

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正木丹波守の墓石は字が判読できないほど劣化しておりました。傍らに後世の住職が建てたものでしょう。
立派ね正木丹波守の墓標がありました。
妻光子は持参したお線香をたむけました。

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清善寺の山門です。昔と変わらない佇まいでした。

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石田三成の像です。

                           
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忍城3の丸の櫓です。

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忍城おもてなし甲冑隊の方たちとスナップ写真
左より坂巻靭負・成田氏長・正木丹波守・私・光子・柴崎和泉守
です。

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行田市がのぼうの城で活性化するといいですね。『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』埼玉の瓦屋さん・雨漏り奮闘記

2011.03.09 (水)

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行田市がのぼうの城で活性化するといいですね。『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』埼玉の瓦屋さん・雨漏り奮闘記

秀吉の命を受けて石田冶部省三成が丸墓山に本陣を引いて、利根川と荒川から水を引き込み、水攻めにしようとしたが、関東は平野だった為、両河川の水は、忍城の地面より50CMしか上がらなかったそうです。

結果として、50CMの水では攻めるに攻められず水攻めは失敗し、時間ばかり経過して、小田原の北條親子は降伏し、秀吉の軍門に下ったのです。

その報告が、三成に届き忍城は開城したのでしょう。
驚いたことに、忍城は廓の中に田畑があったことでした。
それで、少しは命をつなげたのでしょう。
籠城で一番困るのは、兵士の糞尿の処理だそうです。
その次が、女子供の泣き声、3番目が食糧だそうです。

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のぼうの城の旗指物を持って丸墓山の石田三成の本陣を望む兵士たち

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義経・真田の兵まで応援に来ています(?)

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行田丸墓山の大きな桜も4月には見事ですよ。
「忍城ラジオ攻め」の生放送です。
忍城も一夜城で急きょ造られました。
盛り上げっています。

                           
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環壕に姿を映す丸墓山。
武蔵野国の豪族,笠原直臣のお墓だそうですね。

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忍城の廓配置図面です。
文政年間、奥平十朗左衛門の筆です。

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のぼうの城を読んで舞台になった丸墓山に行きました。

2011.03.08 (火)

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天気も良かったので、のぼうの城を読み、石田三成・大谷吉継・長束正家が陣を張った丸墓山に、のこのと出かけて行った。
駐車場が満杯なのに驚いた。
「これじゃ、今年のお花見は車の置きっぱがないな」
と光子と話し合った。
千代の上杉に行くから大丈夫だね。
そんなたわいもない会話をしながら。

丸墓山に近ずくと、トラックがあり、大勢の人だかりでした。
HNKの生放送をしているではありませんか。
驚きました。
大勢の甲冑をつけた人たちもいるではありませんか。
『ラジオ攻め』と言う番組の生中継でした。
のぼうの城の原作者「和田 竜」その他もお笑いの埼玉県杉戸町出身の女性と春日部市出身の女性のお笑いコンビ「北陽」さんたちが、司会「永井伸一」さん、タレント松村邦洋さん、小日向えり(暦ドル)さん、名将の采配で出演しております来村多加史さんが出演して、トークやクイズがって、おもしろかったです。

驚いたことに、石田堤の総工費は400憶円ぐらいかかったのには驚きました。
高さ7m、延長28Kmの堤にです。それもこうきは5日間ですよ。
何もかも驚きです。
もちろん、23,000の兵に農民兵まで入れて2300人で戦って勝ったのです。

実は行田は妻の実家あり、また、私が瓦を造っていたころのプレスの金型を作る渡邉製作所や光子の実家の裏手ですが、今鷲宮に住んでおられる黒川さんの実家もかってはあったのです。
また、行田は土瓦を造っていた瓦屋さんも多く、私にとっては幼いころからして親しみの有った町なのです。

下記は忍城ラジオ攻めの公式HPです。クリックしてみたら面白いです。
②~3日書かせて下さいね。
http://www.nhk.or.jp/saitama/radiozeme/
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のぼうの城の作家和田 竜さんです。
本当は撮影をしてはいけないみたいでした。ちょっとぼけていてすみません。

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司会の永井伸一さんとお笑いの杉戸町・春日部市出身のお笑い「北陽』さんたちです。

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忍城には直江兼続は籠城してなかったのですがね。
ペットボトルのホラ貝を持っているのは「大阪城甲冑隊」創設者の河井計実さんです。

                           
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色々な旗指物が見えますね。
真田、豊臣など

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司会の永井伸一さんと小日向えりさん、松村邦洋さん、郷土史家の方たちです。

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