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記事一覧

故郷「久喜市・鷲宮」を散歩がてらにカメラを覗いてみました。

2014.05.08 (木)

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今、東日本大震災で国民の意識が変化している。
1400年の瓦の歴史に、故郷の風景に、変調を感じるのは、私「屋根屋のおっさん」だけなのでしょうか。
瓦は1400年の歴史に中で、このままでは、技能者が育たない。震災。戦災。火災。多くの災難を乗り越えて、瓦が日本の街並みを支えたのです。そして今があるのです。
TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

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今から60年以上前、戦後の混乱期の時代です。
まだ、給食制度もなく、アメリカの余剰農産物で
子供たちが命をつないでいた時代です。

お店に行っても、薩摩飴、、鉄砲玉と言われる
カマスの底に残った黒糖で作った飴や、
かりんとうぐらいしかお店に置いてない時代でした。

そんな時代に、私たちは地元の神社に徒歩で
本当の遠足に行ったのです。

今の池田油店の角を曲がって、
大輪の松原と言われる利根川の河川砂丘の砂山の道を
子供心に3k位の道のりを行く楽しい遠足でした。

それが胡禄社でした。

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久喜市・鷲宮の葛西用水の両側の「コスモスロードのマップ」
現在、葛西用水の両岸は散歩道になっており、私も妻と散歩をすることがあります。

この葛西用水は、玉川上水の工事を担当した、
玉川兄弟の工事監督をした関東郡代・伊奈 忠治で、
羽生から始まり、加須・鷲宮・久喜・幸手・杉戸・春日部
越谷・唐居の足立までの約70kに及びます。

葛西用水は、見沼代用水・愛知の明治用水・
日本3大農業用水として、江戸幕府の直轄領であった。

この葛西用水は排水路(悪水)と用水路を兼ね備えた
水のリサイクルのシステムだったのです。

ファイル 1220-2.jpg
かって、御代官と呼ばれた針谷邸です。
土塀に囲まれ、聞き及んだ話では、
今でも、取り調べの為の拷問の諸道具があると
言われております。

針谷家は出雲の国から来た、天穂日命らと鷲宮神社の創建期から続く名家と言われております。
現在は、鷲宮神社の催馬楽一流神楽を指導しております。

ファイル 1220-3.jpg
西大輪神社
利根川の河川砂丘の上に鎮座しております。
現在、雷電社と2社を合わせて、
西大輪神社と言っております。
また、唐獅子は流れ唐獅子と言われております。
                           
ファイル 1220-4.jpg
小学生のときに大輪の松原を通って、
遠足に行き、東北本線を眺めた記憶があります。

ファイル 1220-5.jpg
駆ったの利根川で、今は中川といい、江戸から、
多くの帆船が行き交っていたので、
八甫の地名が残っております。

ここから、筑波山の雄姿を見ることができます。(左端に映っております)
この、門樋橋の南側は武蔵野の国で、
北側は下総の国です。

戦国時代は、小田原北条氏の勢力下にあり、
上杉謙信・豊臣秀吉と対峙したのです。

埼玉の屋根屋さん「住まいの基本は屋根にあり。屋根は文化だ。芸術だ。」
久喜市・加須市・白岡町・杉戸町・羽生市・古河市・熊谷市の皆さん応援してくださいね。
連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301

屋根のことならお任せ「新瓦博士」!
当社ホームページはhttp://www.ogiya.co.jp です。
クリックしましょう。
瓦は歴史の生き証人です。
鬼瓦はネパールのカトマンズの神聖な寺院に源を発し
水の神様で、住まいを火事から守っておるのです。
魔除け・火伏の大事な役を担っています。

屋根リフォーム・屋根修理の名人「新瓦博士」。

連絡先は埼玉県久喜市
FD 0120-58-9901 

鎌倉時代の当代一の白拍子、静御前の墓参りに行ってきました。

2014.05.07 (水)

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連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
『久喜の昔は瓦屋さん。今や屋根屋さん。屋根材ならなんでもどうぞ』
TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。
日本には昔から同様に甍の波ありました。
最近は、街並みを保存して町おこしをしています。
街並みの中でも、京都の円山公園から、清水寺の二年坂
産寧坂のあたりは、甍(瓦)の街並みが美しく、東京では
浅草・浅草寺の仲見世の霧除け屋根が粋な通りを演出しております。お暇なときに「スカイツリー」を見ながらそぞろ歩きもよいですよ。
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何時のの時代でも、人々は悲恋の恋を
悲しみ、傷み戯曲化いたします。

静御前のお墓も至る所にありますね。
かって、この栗橋のも、
静か村という地名が残っておりました。

かって、久喜市栗橋にあった高柳寺(現、古河市光了寺)に静御前の記載された過去帳があり、厳松院殿義静妙源大姉の静御前の
戒名があるといいます。

しかし、静御前の記述がみられるのは、
時の執権「北条氏」が自らの権力の誇示として、
編纂された「東鑑」だけであると言われております。

当時の貴族などの日記に替わる物には、記述は見られないそうです。

これは、頼朝死後、権力が源氏から北条氏に
移行した表れでしょう。

でも、静御前は白拍子として、義経の寵愛を受け、
鶴岡八幡宮の頼朝の御前で、追討の義経をはばからず、
「しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな]
頼朝は激怒し、それを政子が自分とて
同じことをするでしょうといさめるのです。

有名な話ですね。

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ファイル 1219-1.jpg
宇都宮線、栗橋駅近くの静御前の墓標

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静御前の悲恋を哀れに思い、植えられたという
松か何かの巨木も江戸時代には、
利根川の洪水と夏の日照りで枯れたと言われている
古墳の図

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近年建立された静御前の墓標の前で

                           
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静御前の言い伝えを伝承する説明板

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㈱オオギヤは塗装・内装・改装・解体・舗装工事もやってるよ。

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屋根屋が面白ブログ。
久喜市・杉戸町・白岡・蓮田・春日部・古河・幸手
羽生・加須のこともアップするよ。
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板倉・雷電社から江戸3大関所、栗橋へ

2014.05.06 (火)

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瓦は1400年の歴史に中で、阪神御震災を境に、瓦は重いのイメージ先行で、和瓦が消えつつあります。
このままでは、技能者が育たない。震災。戦災。火災。多くの災難を乗り越えて、瓦が日本の街並みを支えたのです。
そして今があるのです。

多くの外国人が日本の黒い瓦のイメージを見て驚くのです。
その一人に、ドナルド・キーン氏や、
ライシャワー博士がいたのです。

西洋人は、地中海・ヨーロッパの赤瓦に見飽きているのです。
蔵の街、川越が観光都市になるのですか。

見直しましょう。甍の波の和瓦を。
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ご連絡お待ちしております。

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私たちは、南極の船旅から帰宅後、旅の疲れが癒えた3月中旬
安全祈願のお礼参りに参拝し、禰宜さんに依頼して、
和算の扁額を見せていただきましたが、
残念ながら、図形は何とか判読可能でしたが、
和算による数式はいかんとも判読不能でした。

今は、別館に掲げてあるのですが、長年の風化が激しさを物がったておりました。

今から50年前、不動岡高校生の時、
不動尊総願寺で見た和算の額をと思い、
回り込んで、住職さんに頼んで、本堂に掲げられた
和算の額を拝観いたしましたが、
ここでも、高校生の時に見た、和算の額の姿はなく、
図形のみが判読でき、
解答は判読不能でした。

でも、住職さんが親切に「またおいでのときは
電話を下さい」と言って境内を出てまで
見送っていただきました。
門前の武蔵野五家宝店よって、名物の五家宝を買い求めました。

素晴らしい文化財も、時を経て劣化し、
わが身の老いを知らされました。

一つ発見したことは、埼玉県に和算の額が
多いことでした。

それは、和算学者「関 和孝」が群馬県藤岡の
生まれであることと関係があったのです。

この和算が、明治になって、数学が取り入れられた時、
算数の基礎が、地域の総社・仏閣に奉納されていた算額を
基礎にして全国津々浦々に急拡大して、
明治政府の富国強兵に、貢献したのでしょう。

同時に、現代の物作りの基礎になったのでしょう。

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勾欄の下部の彫刻は、妻沼の聖天様とよく似ております。
聖天様は、子供たちが安心して暮らせる世の中作りたかった
家康の命で再興されたのです.

板倉の雷電社は、徳川綱吉によって大改修されたのです。
綱吉も、お犬様を除けば、賢君で徳川の治世を
太平の世を作り上げたのです。

思想的には、家康公の遺訓を奉じていたことでしょう。

ファイル 1218-2.jpg
何方が奉納したか記載はありませんでしたが、
板図の絵馬でなく,木彫りの神馬が奉納されておりました。

ファイル 1218-3.jpg
利根川の関所跡が示された案内板。
本当の関所跡は現在の川の中にあったようです。

利根川の移動によって、現在地に移築されたみたいです。

子の栗橋の関所は江戸3代関所で、
日光街道の要所で、箱根の関所、碓氷峠の中山道の
関所に並んで、出女・入り鉄砲を厳しく取り締まりました。

                           
ファイル 1218-4.jpg
関所を示す石碑

ファイル 1218-5.jpg
利根川の堤防かさ上げ・移動に伴う発掘調査の
住居跡。
栗橋の宿場跡の規模がわかれば良いですね。

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童の遊び

2014.05.05 (月)

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『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』埼玉の瓦屋さん・雨漏り奮闘記
シルクロードに興味深い瓦が沢山ありました。
クロアチアでは、城壁の上から素晴らしい瓦屋根の街並みが
見渡せるように観光ルートが設定されていました。
瓦屋根を大切にしましょう。
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この板倉の雷電社に、加賀100万石の利家の子、
加賀藩主3代、利常が秘蔵していた菅原道真の姿絵を
里人が奉納したところ、
利根川を挟む、常陸の国で水難を免れたそうです。

室町時代の創建にかかわる、この神社の歴史の中で、
色々な奇跡が起こり、信仰を集めたのでしょう。

私の父の熊太郎が、鳥居を寄贈した騎西の雷電社も、
この板倉の雷電社の分祠です。

父も、雷電親交があったのか、または、信仰心が深かったのか
今は知る由もありません。

しかし、私にとって、父は偉大な存在です。
父の遺伝子が、私から子供たちへ、そして、孫へと
受け継がれて、扇谷家が栄えることを願っております。

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ファイル 1217-1.jpg
我はと思う童の相撲

ファイル 1217-2.jpg
笛太鼓で獅子舞に興じる童

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当時、この雷電社の周りに湖沼にナマズ、ウナギが
多く生息しておりました。
そのウナギの生け捕りに興じる童たち

                           
ファイル 1217-4.jpg
お犬様の御代に犬の喧嘩をけしかける童

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大きな花器に花を生けた御所車を引く童

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彫刻に見る浦島太郎伝説

2014.05.04 (日)

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  雨漏り奮闘記・埼玉の屋根屋より。
いま、瓦の施工方法に全国瓦工事業連盟(全瓦連)の組合員が一丸となって「耐震・耐台風工法」(ガイドライン)に取り組み、
行政からの要請を受け、東日本の震災復興住宅に推奨されております。
和瓦の街並みがなくなる、ドナルド・キーンが愛した瀬戸内の尾道の風景が赤い瓦の街並みなってしまったら。
京都・奈良の和瓦がコロニアルになってしまったら。
そんなことを危惧する一人です。

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浦島太郎の御伽草紙は、江戸時代に日本書紀・丹波の国・風土記に記されている浦島伝説が、太平の世になって、錦絵などに描かれるようななったのです。

神仙思想を題材にして、童や女たちの読み物なっていた当時の流行を素早く感じ取っていたのかもしれません。

また、2度にわたって、利根川の氾濫が江戸の市中を混乱と
悲惨な状況から、聖天様と同じように、
極楽の世を、この水郷の小島に浮かぶ雷電社に
求めたのかもしれませんね。

彫り師たちは、お犬様で有名な5代将軍綱吉公の
御代に上州館林藩主であったことからも、
大改修を行い、同じ上州の石原常八一門に
任せたのではないかと思います。

その時より幕府より葵の紋の使用を認められたのです。

聖天様の彫刻は石原親子・孫の3代、100年にわたって
完成させたものです。

この雷電社も、2間社権現つくりも、
相当の歳月を要したものと思われます。

実をいうと、この浦島伝説は、丹波の国・江戸の東雲海岸
東神奈川・香川県三豊市・九州開聞岳もふもとの海岸
沖縄などにも似たような話が存在するのです。

そればかりか、中国の神仙思想ですから当然中国にもあります。
中国から韓国にもわたっております。

面白いことに、丹波風土記では実在の人物として描かれ、
日本書紀には雄略天皇12年(西暦477年)7月7日に竜宮城に行っているそうです。

竜宮城とは女人しか住まない蓬莱の国なのです。

話は長くなるのでこのくらいに致します。
調べてみると面白い話です。
なぜ、乙姫様は見ることにかなわぬ玉手箱を
お土産にしたのでしょう。
人間は、アッと思う間に、気がつけばおいてしまうことを
教えているのでしょうか。

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ファイル 1216-1.jpg
龍に乗って琴を奏でる乙姫様。
海の中に滝があり、桜花が爛漫に咲いています。
これは陸上の蓬莱山を表現していると思われます。
これは中国・韓国・ネパールの蓬莱思想ですね。

ファイル 1216-2.jpg
頭にタイなどの魚をつけた擬人が浦島太郎に謁見してる様子。
本当は浦島伝説には、乙姫様は登場しますが竜王は出てきません。
石原常八は竜王みたいな人を、なぜ彫ったのでしょう。

この弓矢と剣を持った人物は筒川巎子か雄略天皇を現しているのでしょうか。不思議が沢山あります。

ファイル 1216-3.jpg
魚たちを従えた竜王が宝珠を持って
謁見を乞うてる様子ですね。
これは神仙思想を表現しているのでしょう。

竜宮城に、竜王が存在したとして、宮の主が宝珠を、なぜささげねばならないのでしょうか。

宝珠とは、願い事をなんでもかなえてくれる宝を現し、
宝形つくりの寺院の屋根などに取り付けられることが多く、
私も、久喜市の宝形の本堂に施工したことがあります。

鬼瓦と比較しますと非常に高価なもので、
3尺角で施工費を含めて、20年以上前で
90万円を超えていました。(宝珠のみの施工費です)

ファイル 1216-4.jpg
乙姫様に、あけてはならぬ玉手箱を戴いて、別れを惜しむ
浦島太郎です。
亀ではなくて、海住むワニの格好をしておりますね。
常八は浦島伝説を勇壮に描いたのでしょうかね。

ファイル 1216-5.jpg
3尺の桧の羽目板に彫刻してあることがよく解りますね。

さいたまの屋根やのおっさん『ルーフ』
瓦は1400年の歴史があり、耐久性があって、メンテナンスが楽なのです。
3/11の東日本大震災でも復旧工事は早く、15か月くらいで
修復作業が完了したのです。
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雷神様を祀る関東の総本宮「板倉の雷電社」の初詣。

2014.05.03 (土)

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奈良東大寺の屋根は、瓦を平面に敷き詰めると20,000坪にもなるのです。
大仏殿に入って天井をご覧ください。
天井に四角いマス目が見えると思います。
6畳間の大きさがあるのです。驚くでしょう。
屋根を支えている垂木という四角金ぴかに光った物を
見ることができると思います。
それが30CM*40CMあるのです。こんな巨大な屋根が日本にあるのです。最後の再建したのが頼朝となんです。
1000年の時を経ているのです。
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ご連絡お待ちしております。

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板倉の雷電社に「和算の扁額」があるというので、
光子と二人で初詣に回り込んだのです。
禰宜さんにお願い致したのでしたが、初詣客が多く、
再度お出かけ下さいと言われ、南極の船旅の安全祈願を
お願いして、奥ノ院・神馬の納屋・神社の周りの
水郷の風景を楽しみながら、無事南極に行って来たら
お礼参りに参拝し、その時に「扁額」を見せてもらうことに致しました.

この板倉の雷電社の禰宜さんは近山の後輩だそうです。
この雷電社は、創建は古く万葉集に詠われた湖沼群の小島に
聖徳太子が祠を立てたのが始まりと言われおります。

また、初代征夷大将軍坂の上田村麻呂が窮地に陥ったとき
雷電の神の化身の童子に助けられ、桓武天皇の勅許をえて、
雷電社を建立したのが始まりと言われております。

八幡宮稲荷神社は室町時代の建立で、群馬県最古の建物です。

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ファイル 1214-1.jpg
鳥居の正面より望む板倉の雷電社

ファイル 1214-2.jpg
素戔嗚尊が八岐大蛇を退治する彫刻です。
8個の酒の甕が彫られておりますね。
素戔嗚尊の話は、大和朝廷に出雲の国が戦い、出雲が降伏して、
渡来人の大和朝廷に記紀の中で「国譲り」の話に変化しているのです。

ファイル 1214-3.jpg
子の拝殿の鳳凰の彫刻は、妻沼の聖天様の彫り師
「上州 石原常八」の息子
2代目「石原常八・主信」がこの雷電社の彫刻を手掛けております。

名人石原常八は門人も多く、私に知っている神社で、雷電社・聖天様・野田の愛宕神社・柏の香取神社などがあります。
板倉の雷電社、妻沼の聖天様とも、彫刻において、比類なきものです。
聖天様は、武州の日光と言われ、巨費をかけ、当時の面影を
再現しております。「国宝」に指定されました。

                           
ファイル 1214-4.jpg
拝殿の上屋の重みを支えるボタンの腕木は
聖天様の拝殿と共通するところがあります。

ファイル 1214-5.jpg
二間社権現つくりを確認できます。蓑甲破風の曲線を
よくご覧ください。

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フイリップ2世とアレクサンダー3世の出生地の素晴らしさに心が震えました。

2014.01.09 (木)

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紀元前4世紀~3世紀。このマケドニアは
バゲオン山の金を国力の財源として、類まれなる
戦闘の獅子、アレクサンダー3世(大王)によって
大帝国を築いたのです。

また、同時に文化の面でも、素晴らしい文化を
築き上げたのです。

私たちが教科書で見た遺跡が広がっていたのです。
もちろん、私たちツアー客のみであった。

今まで、こんな素晴らしい遺跡を独占できる事すら
思ってもみなかった。

このペラの遺跡はギリシャ文明の
最高傑作だと思っております。

玉砂利を引きつめ、幾何学的模様から、
鹿を追い求め、あるいは4頭立ての馬車を操る
素晴らしいモザイク画・また、この地帯に
生息していたであろうアジアチーターを乗り回す
躍動感のモザイク画を、只々呆然と見ていたのです。

何時かエベレストの朝焼けを撮影したように
夢中でカメラのシャッターを押したのです。

現在は紫外線の劣化防止のために
うっすらと砂をかぶしてありました。

日本人はアテネの遺跡などに目を奪われ、
また、マケドニアというギリシャから
少し離れた地域性もあるかと思いますが、
見たという話を聞いたことがありません。

費用と時間の関係で、ピンポイントの観光が
メインのツアー会社の良いとこどりにの為なのでしょう。

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  雨漏り奮闘記・埼玉の屋根屋より。
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アレクサンダー3世の出生地「ペラ」の遺跡(世界遺産)

ファイル 1172-2.jpg
拡大した宮殿の淵を撮影

ファイル 1172-3.jpg
紀元前のこの地方での狩りの様子。
二人の若者の鹿狩りの様子

ファイル 1172-4.jpg
躍動感あふれる4頭立ての馬車を操るモザイク画
ファイル 1172-5.jpg
当時生息していたであろう豹に乗ったデイオニソス神のモザイク画。
この時代に足首にブレスレットをしていたのですね。
この時代にファッション性がギリシャ人にはあったのですね。

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さいたまの屋根やのおっさん『ルーフ』
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3/11の東日本大震災でも復旧工事は早く、15か月くらいで
修復作業が完了したのです。
重いと思っている方もおると思うのです。
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故郷の 色は何色 来待色(石州の方ならこんな光景が頭に浮かぶことでしょう。
沖縄の方なら赤瓦でしょう。能登の方はカラスの濡れ羽色でしょう。
やっぱり、日本人なら瓦屋根。

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