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濡れ衣をきせられ二俣川で非業の死を遂げた畠山重忠の居城跡に行ってきました。 太陽光発電の補助金をGETしてエコ・ライフをしよう。

2010.07.02 (金)

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濡れ衣をきせられ二俣川で非業の死を遂げた畠山重忠の居城跡に行ってきました。 太陽光発電の補助金をGETしてエコ・ライフをしよう。

6/27 小川町伝統工芸館で連合会(瓦組合)の役員会に出席する為に、妻を伴って参加した。

会場には試験の架台のようなも模擬台にアイデアと我ここにありと言わんばかりの作品が多数並べられ、また、工芸館の入り口近くに、富岡鬼瓦店の瓦を使用した、和風庭園がつくられていた。

非常にに力作ぞろいであった。
でも、おしむらく、吉田前会長の作品や杉本瓦店の素晴らしかったが、耐震性の評価が特典を得られず、残念でした。

連合会の総会で、懸案だった議題が討議され、私も9ヶ月目の参加で内容がよく呑み込めなかったのには申し訳ない気持ちでした。

瓦造形会の作品を鑑賞させていただき、いつもながら妻と感心しながら、妻の運転で帰宅の途に就きました。

行きに記憶していったのですが、武蔵嵐山町の畠山重忠の菅谷跡の博物館によって、武蔵野の豪族の様子や、城祉について、
拝観して、帰ろうとしたとき、女性の館員がいたので話しかけましたら、館跡の空堀の遺構が良好な状態で残っておりますので、
ご覧にな照りって下さいと声を掛けられたので、
外へ出て、敷地をぐるりと一周りを致しました。

空堀だけでなく、畠山重忠の像もあり、久しぶりに、ヒノキチオッドを思い切り吸い込み、森林浴のさわやかさを感じました。

畠山重忠は、時の執権北条時政によって、権力争いの余波を受け、
神奈川県二俣川で謀反の疑いをかけられ、非業の死を遂げました。

頼朝信任も厚く、死後の頼家、実朝などの遺児の事を託されたくらい、忠義の武蔵武士でした。

時政の図り後の前に、潔く死を選んだのです。
140騎足らずで、北条義時に立ち向かい4時間の死闘の末、
力尽きて、二俣川の土に帰したのです。

南無無駄仏。 合掌。
 
                                            
ファイル 534-1.jpg
気骨ある武蔵野武士団を率いた畠山重忠像。
なぜかお酒が上がっておりました。

ファイル 534-2.jpg
往時が偲ばれる菅谷館跡の案内板

ファイル 534-3.jpg
いざ鎌倉の『鎌倉街道』彷彿させる石畳


                           
ファイル 534-4.jpg
遺構がはっきり残る菅谷館跡の空堀

ファイル 534-5.jpg
城祉の築山の前にチガヤが咲き乱れて美しかったので、
光子を撮影

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