野田市関宿町は明治初期30,000人口で木更津市についで千葉県第3位の町(関宿)です。
寺町、台町等の地名を残しておりますが今は鉄道、高速道路等の流通良くなり寒村化しています。
当社も仕事の関係で関宿と多くの関わりを持っていました。木間ヶ瀬のk大工仕事で駒形神社の屋根葺き替えをしたときの事です。見渡す限り全面に稲穂が揺れる穀倉地帯の風景広がっておりました。小さな杜です。木々に巻き付いた縞蛇ポトン、ポトンと落ちてきたのです。ビックリしました。
そもそも、駒形神社は、将門の名馬が飼い葉桶の水を飲んだ所餅が入っていて喉を詰まらせ死亡したため、村人が社を建立したのだそうです。
平貞盛の密使のなかに「桔梗」と言う間者いたそうです。貞盛は碓氷峠の関所通り、京都へ逃げ帰り平将門征伐のために成田山新勝寺と太田の豪族藤原秀郷の合力で関東を朝廷の管理下に統治できたのです。神田明神は岩井(磐井)の神田(カデ山)の地名を取ったものです。大手町の首塚も将門の呪いで移設しようとすると事件が起き当時のままだそうです。
坂東市、野田市、春日部市には、将門由来の地名が多いのは菅生沼を琵琶湖見立てて着けた地名だからなのです。
武者土、〆切、古布地、山崎、三ヶ尾等があります。私は、仕事で色々ところに行き、地域の知識を得ることは人脈でき一石二鳥です。
駒形神社の氏子の人たちは桔梗の花と成田山の参詣にいかないそうです。こんな話も時代と共に忘却の彼方流され忘れられる地名です。