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弥太郎が江戸に出てきて、商売で財をなし、明治政府から、当時荒れ放題だった丸の内一帯の陸軍用地を、当時のお金で125万円で払い下げられたそうです。
あまりにも荒れ地だったので、ある人が「そんな土地、買ってどうするんだ』聞いたそうです。
弥太郎いわく、『牛でもかって牧場にするさ。』と言ったいわくつきの荒野で当時、そこを三菱村と言ったそうです。
それが、今は丸の内と言えば、霞が関と並んで東京の官庁街の一等地です。
そして、三菱はこの一帯に美術館の街をイギリスに並んで、地震に耐える西洋的な街作りを進めたのです。
そんな壮大なグランドプロジェクトを三菱3代は温め、
今回の記念館の開設になったのです。
この記念館は、イギリス人ジョサイア・コンドルによって設計され、建設には至りませんでしたが150年の時が流れて、コンドルの設計した図面に基に、今回完成したのです。
そして、丸の内近在には、山種美術館、サントリー、ブリジストン
美術感が肩を並べて立っています。
私が不思議に思っていることがあります。
この辺一帯のレンガ街のレンガは、日本郵船の一件で争った渋沢栄一の会社、深谷の「日本レンガ」製か茨城県野木のホフマンが窯の「下野レンガ」のどちらだろうと頭をかすめました。
でも、岩崎弥太郎は後藤象二郎の肝いりで、土佐藩の海運業を引き継ぎ、三菱が出来たのです。
実はこれは坂本竜馬のパクリです。
当時、誰が一番偉かったのでしょうかね。
難局に英傑が出る事はいつものことですが。
沢山出て、日本の国は救われたのです。
話は違いますが、三菱のダイアモンドのシンボルマークは岩崎家の三つ重ね菱と山之内家の三つ柏の紋合わせ、デザインしたものです。
もちろん、現在に至るまで、変遷はありました。
オーストラリアのパースで見た明治と近代の調和のとれた建物。
建築設計家コンドルの図面をもとに150年の歳月を経て実現しました。
曲線と直線の美です。
よくご覧ください。
この銀杏が黄色く色ずくとこの記念館は一段と美しさを醸し出します。
白い大理石に縁取れ、白熱灯の発色の暖かさとのバランスが粋ですね。
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