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明治の姿の東京駅復活と皇居

2013.12.20 (金)

東京駅は私にとって種々ことを教えてくれる
特別な場所です。

それは、何かの週刊誌だと思ったのですが
東京駅は歴史と芸術の宝庫と書かれていたからです。

東京駅にはステーションギャラリーがあります。
確か隣接するコーヒー店の窓から望む
丸の内、皇居を望む景観は素敵ですよ。

二重橋に続く正面の道路は「日本一広い道路」です。
行幸道路といいます。皇族専用の道路で、
歩道のみが使用でき、最近では、ケネデー駐日大使が
馬車で明治生命館から皇居までをかするように
天皇にお会い致しました。

また、東京駅はよく探すと開業当時の装飾品が
多数残っております。
歴史の転換点にもなった場所なのです。

大正10年11月原 敬が暴徒にナイフで
刺され倒れ即死したのです。

また、京都に向かう浜口 雄幸宰相も
凶弾に倒れ、半年後に国会答弁の
無理がったってなくなりました。

梨本方子さまは、昭和天皇の妃の一人でございましたが、
梨本家の諸事情により、韓国李王朝の皇太子と結婚。
儀式の少し前に皇太子は毒殺され、
二男と結婚したのです。
彼女もまた私見ですが、この行幸通りを
馬車で歩んだことでしょう。

映画「ラストエンペラー」で有名な愛新覚羅溥儀を
昭和天皇は馬で自ら東京駅までお迎えに上がのです。

設計者の辰野慎吾は13歳にして、現在の東大の工学部に入り
教鞭を採った外国人「コンドル」に従事して、
イギリスに渡り近代建築を学び設計したのです。

この東京駅は渋沢栄一の日本煉瓦製で
ホフマン窯で作られたのです。

東京駅は、建設当時夕日に映え
煉瓦が真っ赤に染まったそうです。

もう一度は、有楽町に続く欅道路のミレナリオに行ったときです。

暗闇から角を曲がって、ワ―と歓声をあげました。
驚きました。デザインされた光のアーチでした。

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今、東日本大震災で国民の意識が変化している。
1400年の瓦の歴史に、故郷の風景に、変調を感じるのは、私「屋根屋のおっさん」だけなのでしょうか。
瓦は1400年の歴史に中で、このままでは、技能者が育たない。震災。戦災。火災。多くの災難を乗り越えて、瓦が日本の街並みを支えたのです。そして今があるのです。
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ファイル 1159-1.jpg
東京駅の全景
人がいくなるのを待ちました。

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ライトアップした東京駅

ファイル 1159-3.jpg
東京レミナリオ
2001.12.24撮影
                           
ファイル 1159-4.jpg
お濠と皇居

ファイル 1159-5.jpg
解りませんが魚がやたらと飛び跳ねていました。
飛ぶもには2mぐらい飛び跳ねておりました。
すごく跳ねておりました。

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