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鉄道の駅舎は町の中心に有るの?

2009.12.23 (水)

 鉄道の駅舎は町の中心に有るの?
駅のターミナルは朝晩大勢の人が行きかいます。
今は町の中心を形成し、土地の価格も駅を中心に
価格が決まっているようなものですね。
 でも、ちょっと待って下さい。本当に古くからある
駅舎は町の中心なのでしょうかね。
こんな疑問を持って鷲宮町の付近の駅を見てみると
古い駅舎は町と町・村と町の中心から外れていますよね。
 東武伊勢崎線の鷲宮駅は鷲宮町と加須市の境にあるし
宇都宮線の栗橋駅も大利根町の境にありますね。かっての宿場町の大宮駅も大宮の中心部ではないですね。
どちらかというと上尾市近い場所にありますね。
 熊谷駅は市街地の中心から離れた荒川の堤防近くにありますね。
なぜだろう。まして、明冶の初期の行田は10万石の城下町でした。
それが本来高崎本線を通すことを住民が反対したそうです。
そんな市町村は日本全国たくさんあります。
 住民の考えが古く拒否をして、今歴史の繁栄から取り残された
市町村、加須市の隣の騎西町もそうです。私の父熊太郎も大正時代、鉄道に目を付けた一人です。今でこそ鉄道は経済・流通の中心です。
しかし、鉄道が敷設された明治のころは違います。
 建物の屋根は草葺き屋根で火災に弱く、汽車は石炭の火の粉を掃き出し嫌がったものです。
 それは、ひとつ間違うと自宅が火災にあうからです。
その結果、村の外れ、街のはずれの集落の少ないところを
選んだ結果だったのです。

それと当時の流通の主役は馬車でした。
馬車引きも自分たちの競争相手として嫌い
しぶしぶ村はずれで妥協したものです。

これで納得。                                                                      

太陽光を推進しよう会の「 新瓦博士」

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