記事一覧

私とカスリーン台風

2021.02.01 (月)

 昭和22年9月8日(1947年)マッカーサー統治下の元、英国風に台風名称が女性名でした。

 私は小学校上がる前の出来事です。私は井戸と釜土のの中庭に居ました。天気秋晴・快晴ででした。突然サイレンがけたたましくなり、大人たちは大水だ直感したらしく、東京に行った泉が「見てくる」と言って自転車で砂利道を飛ばしたのです。もちろん栗橋方面です。

 1時間くらいたって帰り、堤防が切れた。と言って、「まず水の確保」と言って風呂にを飲料水を張りました。蓋を閉め、板金やの作った温水器(太陽光)にも上げました。

 七輪、炭を二階の廊下荷揚げ、慌ててていました。仁平たちは中二階に仏様を上げたのでしょう。もちろん、茶器、布団もです。日用品を含めてです。
 泉さん夫婦は鷲宮小学校に避難したのかもしれません。

 食べる物がない。翌日当りと思うのですが、大木町長と母の弟『永田嘉平」が田船でおにぎり配ってていた記憶があるのですが、鷲宮と水深の境の川の「中川」で大水は止まったのです。
 子供だった私は戸板を縄で縛り、船頭気分で遊んでいました。
 水が引けて前沼の魚がいなくなり、雑排水の溝で魚が逃げ場を失い、捕まえた記憶があります。

 久男兄から聞いた話ですが、急いでさつま芋の収穫したのですが水につかった薩摩芋は「がりがり」です。でも、食べる物がないのです。

 大水は、ナイヤガラ滝のように1mくらいの高さで押し寄せるそうです。
 靑毛堀で一時間の余裕がができるそうです。

コメント一覧

コメント投稿

  • コメントを入力して投稿ボタンを押してください。
投稿フォーム
名前
Eメール
URL
コメント
文字色
削除キー
投稿キー
投稿キーには「1234」と入力してください。(スパム対策。)