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頼朝伝説の仁右衛門島

2019.06.29 (土)

海外から帰国する時、機上から眼下を遠望する時、雄大な九十九里の曲線美のなかに風力発電のプロペラが長閑に廻る光景を視ながら、成田国際空港に離陸するのです。

この曲線美の何処かに仁右衛門島が白波のなかに消されているのです。
仁右衛門島に、二十歳ごろ日本ユニカーの仲間と慰安旅行に行ったときです。個人所有の島で小舟にのって行きました。
遥かな記憶の中でブログを書いてます。頼朝伝説の残る温暖な小島ですがロマンがあります。
 

頼朝は石橋山の戦いで、平氏の梶原景時の温情で伊豆堂ヶ島に逃げ一命とりとめ、伊豆の対岸の仁右衛門島に身を潜め再起を図ったのです。
 この島は古くから観光名所で新日本百景にも入るくらいです。もっとも印象に残っているのが玄関前の大蘇鉄です。再起を図るため、千葉氏との会見に百姓(実は百姓は100の姓=庶民)に多くの名字を賜下したのです。そのため下総の国は色々な名字があるそうです。
風光明媚な堂ヶ島は、頂上に大きなホールがあり、青空を仰ぎ見ることができ、海水は群青色を解き放ち、頼朝わずかの時を光の空間と美しいさに心安らぎ、源氏の棟梁として、あるいは政子のために多くの軍勢を要する千葉氏の前で一歩も引かず、大見えを張ったのです。
 当時、平家で非ずんば人で非ず。と豪語した時代ですが清盛の没後、地方の平氏達は、京の警護・侍所警護に多大な費用を科せられ、すべて己の負担で解決したのです。こう言えばかっこいいのですが、犬同然処遇だったのです。

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