現在、防人が別れを詠んだ河川の港(小崎ヶ沼)は場所が特定されていないのですが、岩槻~行田の古墳群の範囲と思われております。利根川の氾濫、蛇行で繰返し防人は移動した「津の港」まで行って家族と別れを惜しんだのでしょう。
この小崎ヶ沼には歴史の教鞭をとった不動岡高校の前田先生と生徒15名位でサイクリングがてら、高1の時に行ったのです。女性の方が多かったのです。♪♪♪。
なんの知識も無く、埼玉古墳群をみて(現在のように整備されていない時代)前玉神社や石田堤行きました。
前玉神社(式内神宮)の一対の灯籠の右側に「崎玉の津に居る船の風を いたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」…。左の灯籠に「崎玉の小ヶ沼に 鴨ぞ翼きる 乙の尾にふりける 霜を掃ふとにあらし」防人「高橋虫麿呂」が詠んでます。この歌は白村江の戦いで大敗を期した高麗から攻め居る事を恐れた大和朝廷が、九州に防御体制を敷いたものです。
その他にも、行田工業団地内の「八幡山公園」に剥き出しの古墳に防人詠んだ2首の詩が刻まれています。埼玉県知事「畑 和」の石碑もあります。
石田堤は「のぼうの城」で野村満作の出演で有名になり、石田三成、大谷吉継が忍城を攻めを描いた映画です。秀吉の北条氏康の小田原攻めの武蔵の支城の舞台です。
現在は鴻巣市袋地区に「石田堤史跡公園」が建てられました。高校時代の思い出です。
記事一覧
防人の小ヶ崎沼(崎玉神社)と石田堤(のぼう城)
2019.06.24 (月)
コメント一覧
コメント投稿
- コメントを入力して投稿ボタンを押してください。