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世界最古の童話「浦島太郎」伝説を追っての旅

2020.07.03 (金)

 昭和37年神奈川大学に入学し、授業の合間に東神奈川のアイススケート場に行ってコケいました。
 東海道の傍らに浦島太郎の石像あります。近くに「慶雲寺」あり、寺には浦島太郎に関する観音像・巨大な亀や浦島中学校や亀石や太郎の涙石ある成仏寺という寺もあります。

 今は、ベイエリアとして「ガンダム」や若者のデートコース・マンションの林立す場所に、かって遠浅の東雲海岸に竜宮城から帰ってきた海岸があったのです。それだけではなく、鹿児島県開聞岳の海岸に浦島伝説があって、20歳の時にした九州旅行を思い出しています。

 新婚旅行で行った、天橋立の丹後半島(伊根町・船宿)が浦島伝説の発祥の地です。
 
 浦島太郎は足利5代将軍義政時代、禅宗と共に、謡曲、能などによって庶民に広まったのです。
 驚いたことに、日本の15都府県に形を変え、遺跡・神社・伝説があるのです。海のない長野県にも存在するのです。

 海彦・山彦の豊玉姫伝説も浦島伝説なのです。話は亀が鯛に変化しています。浦島伝説は沖縄の各島に存在し、亀は琉球では(沖縄)神的存在で大切のされ、琉球=竜宮に通じ、白砂と美しい海があります。最近の話題では首里城が漏電火災で焼失したことがニュースになりました。

 浦島伝説の背景は兼好法師の徒然草の最初に似ていて興味津々です。浦島伝説は英国で翻訳され、ヨーロッパにひろまりました。 

 浦島伝説は、日本書記に記録されているのです。日本書紀は西暦700年代に書かれた、国家事業で、平安遷都(京都)の桓武天皇が治めた前後の時代で丹後半島の風土記の記録です。
 また、桓武天皇が東大寺発願したのは平城京で大火の後、疫病の蔓延と僧の横暴が目に余ったかなのです。
 インドから開眼導師として、バーラードヴァージャを招聘したのです。
 日本書紀、古事記は、奈良の平城京が大火で焼失してしまった関係で、稗田阿礼が勅命を受けて地方に漢文、倭漢字、口伝として残る物語をまとめ、学者たちが精査の上で記録されたのです。 文中には学者の私見も垣間見る事ができます。

 浦島太郎でなく、浦島子として登場するのです。きっと、仏教伝来とともに入ってきた報恩感謝や蓬莱思想を受け継いでいるのです。
 元々の話は、中国揚子江流域に存在している民話が朝鮮半島を経て、日本に持ち込まれたのです。
 その証拠に竜宮城は、中国の架空の竜(天地)の館です。中国の故宮博物館の棟には、仙人を先頭に麒麟、鳳凰、玄武、竜、朱雀、天馬、海馬、シビ、等が隅棟飾りとして存在します。このような視点でカメラを覗いて下さい。

 丹波国の学者長官(今の大学教授:美濃部都知事のような人)(連=むらじ)伊預部馬養(いよべのうまかい)が、中国の説話を訳としたのではないかとも言われております。

 主人公の浦島子と亀比売(カメヒメ)の話は仙人世界の風流人と絶世の美女の官能の話です。土産のもらった玉手箱を開けて白煙がたち、蓬莱山では3年が人間界では300年に相当し、あっという間に年を取って帰ってみたら故郷の景色は一変していたのです。また、倅が呆けて遊びに行ったそんな話を聞いたことあると村の長老の話になっているのです。

 浦島伝説も面白いと思いませんか。人間は、遊んでばかりいてはいけないと子供に諭す童話なのです。何故、こんなことを思ったか。韓国の友人で故人になってしまった「催 奉根」さんの話に韓国の童話は、他力本願で自分で努力して何とかしようという話が無いのです。いつも中国の威光の前にひれ伏して、属国外交が歴史の根底にある事を教えられました。

 日本の童話は、桃太郎、一寸法師、金太郎、大国の命の話、みな自力本願で事を成就します。国によって幼児の育み方も違うことを実感したのです。20年以上お付き合いさせていただき、ご子息さんの結婚式に呼ばれたのです。

 妻沼の聖天様に素晴らしい浦島伝説の彫刻があります。国宝です。一度ご覧ください。埼玉の東照宮と言われております。
 

黄金街道と森進一の襟裳岬

2020.07.02 (木)

 森進一の歌謡曲で有名な襟裳岬は、落石、地滑りで迂回しなければ通行できなかった難所です。昭和になって財政も潤い昭和2年から9年の7年の歳月をかけ建設されたのです。
 黄金道路の地名は道路に黄金を敷き詰めたかごとく莫大な費用が掛かったのです。
 トンネル間の景観は、素晴らしく紺碧の太平洋と砕ける波涛、溶岩の黒、海岸の茶色の長い昆布畑の美しい景観です。
 襟裳岬を過ぎ日高の景観は、異次元のすそ野を広げた牧場に競走馬やホルスタインがのんびりと牧草を食んでおります。のどかな勇払平野原野です。

 今は、話の中の過去の思い出ですが、50数年前にはアイヌの人達が二風谷・ピラトりに村落を作っていたのです。今はアイヌ文化博物館があって観光地です。
 アイヌ人は裸族だった先史時代の人々の遺伝子を受け継ぎ、夏冬体毛が抜け替わるそうです。クマの木彫りを彫りながら木村さんの和名持つアイヌ人が語ってくれました。。
 今では、アイヌ人も日本人と同化し判別つきません。志賀直哉の破壊は父親が部落民の身分を隠せと強く戒め、教壇に立つ身としてあえて告白して、生徒の前で身分を明かすのです。今は、人口移動で本人自身まで出自が不明になり、日本人としてひとくくりになったのです。良いことです。
 私も70歳を過ぎ、過去を大きな袋に入れてかき消して、古典文学として存在し、歴史の一小間としてロウソクの光りのように消えてなくなり、学者のみがこの世界に入って研究するです。

 北海道の原野は、屯田兵によって切り開らかれ、流氷、雪まつり、創業者「竹鶴政孝」の夢・ニッカウヰスキー、トラピスト修道院、鶴の群舞の、摩周湖に樹氷、函館の夜景、層雲峡の氷柱、私達にとっては雪国のロマンの場所です。
 しかし、札幌雪祭りの屋台でインバウンドによってもたらされた新型コロナが札幌、スキーのメッカ・ニセコも火が消えてしまったのです。
 黄金海岸もバスどころか人も消えたのです。TVのニュース知ったのです。

然別湖の大きい蕗にしたの竪穴住居:小人族:コルボックの話

2020.07.01 (水)

 北海道の奥深くに、線を引いた朝もやが立ち、天地の区別が漫然とする然別湖の静寂の世界、山あいの思い出があります。
 大きな蓮の葉を、かぶっておどける小人族のコルボックスの世界でした。青春だからできる悪ふざけ‼。良い思い出でした。
 今、故人の照さん。荼毘に付され、小さな骨壺に収まり、抹香の香をかぎながら笑顔で手を振ってるようです。

 縄文時代、シベリア大陸や津軽海峡が氷結し、ユーラシア大陸や本土との行き来にマンモスを追いかけて、はるかかなたの「阿弖流為(アテルイ=八幡太郎義家に捕らえられたアイヌ人の首長)の祖先の先住民が竪穴住居に毛皮をかぶり、古代人の部落があったのです。
 想像力を働かせて、頭の体操とボケ防止に良いと思いながら悦に入っております。

最近、アメリカでアイヌ人はアメリカ黒人インデアンの末裔とのニュースが話題になったそうです。
 本当は、アルタイ地方のモンゴロイドが、ベーリング海峡が陸続きだったころ、約1万2000年前人口が急増したのです。
 まだ、北極が温暖でサソリや亜熱帯の森林が繁茂していたころの話です。グリーンランドで極寒の氷上で研究している学者がテント生活をしていた姿を私たちは見てきたのです。

 学者は凄いですね。許可を得て1200人の遺伝子を採取して分かったそうです。彼らは仮説を立て、データーを積み上げ確信を得て論文発表になるのです。
 ユーラシア大陸の母系遺伝子ミトコンドリアと父系遺伝子の染色体Yの突然変異を見るとわかるそうです。そんな論文がペンシルバニア大学の教授が発表したのです。しかし、反論もあるそうです。
 然別湖は十勝平野の帯広の北に存在します。早朝の観光にお勧めです。

 今は廃線になり、人口減少の石狩本線も、列車の最後尾に乗って
全車両を撮影した58年前の記憶にひったって居ります。日本のエネルギーが石油にとって代わる前の時代です。石炭が主力で白煙を上げながら汽車の時代です。「炭坑節」の時代です。80歳を迎える年代に方は修学旅行は汽車の旅でした。

 ところが、今は脱石炭の時代です。日本は東日本大震災の東海村の原子力発電の拒否反応があります。小泉環境大臣のCOP21の国際会議で将来の温暖化対策に登壇し、歯切れが悪く2度の汚名の化石賞に選ばれたのです。

 でも、コロナ対策は、アジア諸国で対策を取れたのですが、夜の繁華街でまた増え始め100人を超える感染者が小池のおばちゃんが東京アラート出したいのですが、難しい状態で専門者会議を再開する雰囲気出す。コロナで世界が分断し、経済の破壊が進み、ANA・JALの外国への竣行が国によってなく、貧困国への援助のボランテアも家庭菜園での食料で飢えを防ぐ方法などのSNS活動始めたのです。死に怯える子供達にとって少しの朗報かなと思う一人です。

潮の香:あるの?・・・・案あの嘘

2020.07.01 (水)

 積丹半島の浜をぶらぶらして分かったのです‼。潮の香はどんな香りなのでしょう。皆さん嗅いだことありますか。
 南極海、沖縄のオーシャンブルー、オーストラリアの紺碧の海、全然匂いが無いのです。動物は本能的に塩を欲するゆえに、それがほのかに感じられるからなのかもしれません。
 積丹半島の奇岩を眺めながら、青年の時、砂浜に捨てられた昆布や貝殻から匂ってきたほのかな匂いに魅せられた思い出を55年前の追憶を辿っております。新緑の森のヒノキチオール、春の訪れのソメイヨシノ、7月の満開の日光キスゲ、皆独特の嬉しい香りの中に人は浸る願望を持っているのでしょう。
 シンガポールで、初めてランの匂いを鼻先を、乙女でなくてもゲスな男でさへラッキーを感じました。香りの世界から音の世界は、また別の意味を持っています。
 早春の雪解けの音に癒されるのです。滝の音に目を見張り、春を告げる大木に耳を当てると、かすかなゴーという息吹の音を感じることができます。

 よせては返す波の囁き、蓮の花のおはようの「ポン」も独特です。秋の虫の合唱、静かなマツムシ,邯鄲の音色も日本人独特の音感なのです。
 虫の音は同じ日本人でも、沖縄の人は、あまり感じないようです。あの素敵なマツムシの音はもう遥か彼方に行ってしまい、コウロギさえも聞くこと叶わないコロナに負けてしまったような気がします。
 お家時間が多すぎて、自然界のささやかな出来事までも見えなくなってしまいました。

 子供の笑い声や泣き声は遺伝子情報によって良くも悪くも感じ方が違うのです。
 音って不思議ですね。
今回の新型コロナは、音どころか見えない敵にオロオロしているのです。
 革新は、何時の時代も疫病によって人間が戦いに勝って、時代が移って行くのです。
 私が見た革新の何が「ヒットラーが起こした第1次世界大戦あんなの嘘」起稿させたか最たるものです。アウシュビッツ収容所のゲートに掲げられた「働く者は救われる」みんな嘘です。1400カロリーの食事で軍楽隊に鼓舞され死が待って居るだけなのです。
 女・子供・身体不住の男子は、すぐにガス室に送り込まれ死を待つばかりです。しかし、貨車で運ばれ人数で膨大なため数日かかるのです。25畳くらいなコンクリートの床に、50~60人ぐらいが起居を共に糞尿は垂れ流し、ネズミが発生しコレラが蔓延したのです。送り込まれたユダヤ人やその他の人々が死んでいった悲惨な事実があったことを伝えたくて無理やり挿入させていただきました。
 
 これが「アンネの日記」に記録され、父親が出版したのです。

 

人生の面白さ&醜さ

2020.07.01 (水)

 人生を楽しむためにはお金は必要不可欠です。
 守銭奴と汚名を着せられた日野富子.宋銭を大量に輸入して、世の中の経済を物々交換から貨幣経済に移行させたのです。
 将軍職の権力争いに細川勝元と山名宗全が10年にわたって京の街を焼き尽くし、その後の凶作で、鴨川の橋の橋頭堡に死体がゴミのように掛かり洪水が起きたのです。

 今、令和の時代も2020の年末、それ以上にコロナ禍が続いたとすると、想像したくないような惨状が広がり、自殺者、失業者が大量に生まれ、強盗、殺人、すり、公務員の賄賂が広がり末法の世の中になり、新たな宗教が起こり、人心を惑わし、フェイクニュースが渦を巻きながら世界を駆け巡り、独裁政権が台頭することでしょう。
 日野富子が「宋銭」輸入し、流通経済に影響を与えたことは、公銭「和同開珎」が不人気で、ごく一部にしか流通せず、多分悪質な銅貨で変色・摩耗がひどかったものと私は思っております。
 宋銭は鉛と銅で鋳造されたのです。しかし,惡銭は変形しやすく、鋳造を重ねるごとに小さくなり、穴は大きくなったのです。
 ところで、コロナウイルスはスペイン語が語源で「王冠・太陽の炎・コロナ」由来するのです。語源は美しいですが、恐ろしいウイルスです。
 コロナウイルスには突起物があります。太陽のコロナに見立てたのです。
 もともとは漢方薬に使われる絶滅危惧種「センザンコウ」のウイルスに酷似、食用・薬に多用され、人の感染したものらしいです。
 エイズと同じですね。動物を媒体とした感染経路は日本でも最近は食材は養殖で管理され、サプライズされて安心ですが、自然界には菌を保有した食材がたくさんあります。
 私たちが、子供のころ食した鯰・鰻・犬なども馬肉とアレンジして売りに来たのです。今では、養殖されたマグロ、タイ、牛、桜肉などもそうですね。
 日本の食材はクジラ・鯵、など限られた生態系のみになりました。
 日本は北海道から沖縄まで、暖流・寒流、しかも高低差も海抜0m~2000まで食材が栽培されている国土なんて、ペルーなど一部の国でしか存在しないのです。誰もが幸わせ感じない世界は素晴らしいですね。これが現代日本の姿です。

時代のイノベーションは得体のしれない疫病から始まる!。

2020.06.30 (火)

 人類は常に疫病との戦いに明け暮れたのです。今から、2万年以上前の石器時代後期の縄文時代は弥生時代と共存した時代でした。
 世界に類を見ない1.5万年長い時代を築いたのです。もちろん、後期には大陸と貿易もし、部落も存在していました。何故、長い間可能だったか、まず、今より4~5度温暖な気候でした。部落を形成したころの海面は現在より4~5m高っかったのです。縄文人は、部落の周辺の栗の木を残して開墾しました。栗畑が広がり、人口の増加により開墾を繰り返したのです。現在の気候に近くなり、貝塚の調査から浮かび上がるのは、小さな貝まで食していたことが分かりました。

 そして、もがくように生き、大陸との貿易で疫病が運ばれ、また、寒冷化で植生の変化などで絶滅したのです。疫病が何であるかはわかりません。

 アフリカから拡散した人類が古代エジプトあるいはチグリス・ユーフラテス・インド・中国で文明を作った後、今から8000年前、牛疫(牛の麻疹ウイルス)と見なされる流行り病気が起った事実が紀元前2000年パピルスの記録されているのです。

 紀元前、アレクサンダーが帝国を創る100年前、アテナイとスパルタが戦争をし、オリンピックのマラソンで有名な「見た・来た・勝った」でアテナイが勝利を収めたのです。アテナイは地中海沿岸国(エジプト・ペルシャ・イタリアの都市国家等)と貿易をしていたのです。その結果、沿岸国から発疹チフス・天然痘・が持ち込まれアテナイの疫病は凄惨だったのです。アテナイの市民は神殿にすがったが結果、人々が集合し疫病が拡散し、神殿に寄り付かなくなったのです。
 都市国家の人口の30%死亡したと記録にあるのです。
 その結果、アテナイは国力を弱め、ローマ時代が到来するのです。

 ロマ帝国は1000年の繁栄を築きます。しかし、ローマもガリア地方、エジプト、ペルシャ、シリア、アラビアなどと貿易・戦争を通じ牛疫がローマ帝国を襲い、キリスト教の信者40000人が起居するのみに成ってしまい、ローマからラバンナに遷都したのです。

 どんな時代でも、疫病によって時代は変化するのです。この事実は人類誕生からだと思います。
 時代が下って、ジンギスカン軍の侵攻でもヨーロッパ全土に牛疫が蔓延したのです。
 その結果、ヨーロッパで2億頭の牛が死亡し、食料の不足が起こったのです。家畜と生活を共にしていた蒙古軍は免疫があったのです。今回の新型コロナも、世界の人々が免疫を持つか免疫薬の
誕生を待つしかないのでしょう。不気味なのは、世界が混乱して、自国主義が大手を振って闊歩することです。インドと中国は国境不確定部分で死者を出す一発触発の常態です。どちらも、ミサイル保時刻です。また、中国は近隣諸国と領有権を争っています。トランプさんは、まとめ役でなく自己主義の塊です。コロナより選挙で当選することを優先しています。トランプさんはTTP・パリ協定からの離脱表明や国連分担金の減額要求しているのです。
 
 混迷の世界の入り口です。日本の歴史を紐解けば、大化の改新・平城京から平安京の遷都・保元・平治の乱・応仁の乱・戦国時代・明治維新・明治から大正時代・大東亜戦争(太平洋戦争)戦後・現代(昭和)・平成・令和の度の時代でもウイルスによって時代の変化・革新にせっつかれて、時代のイノベーションが起こるのです。

 世界を見渡せば、大航海時代・産業革命・植民地時代・第一大戦.ヒットラーの時代・第2次世界大戦のすべてにウイルスと戦争があったのです。貧困が世界を混乱に起こし、死者がウイルスを拡散するこの事実を人間は忘れるからなのです。

 平和ボケが高価に付くのです。ウイルス、戦争の代価払うのは弱者の国民であって、富者はいつも助かり、笑顔で傍観です。都選は候補者は最多の22人です。コロナとオリンピックが論戦されるのですが・・・・・。不在者投票が3蜜を避け、多いのです。天神様の細道選挙です。コロナの終息は誰にも読めません。低開発・アジア・南米・中東・中国・イタリアなどからのインバウンド来るか来ないか?マークが付きそうです。

 小池のおばちゃま、開催主張、色々候補者言っていますが7/5開票が3蜜さけて遅れるそうです。でも、おばちゃま勝利宣言しそうですね。
 莫大な予算を国民にシワ寄せしそうですね。前線撤退も叶わず。2000億追加ですね。天才ばかぼん,父さん、これでいいのだ?。

日本人のルーツと歴史のロマン

2020.06.30 (火)

 日本人のルーツは、遺伝子学的には「ヤポネシアゲノム」呼ばれる、旧石器時代の人々が縄文早期の人々と遥か11,000年前で途切れ、空白の時代がある事が解かっているそうです。
 そんな事は、学者に任せて、私が不可解に思うのは、学校で教わる縄文時代そして弥生人が文化を引継いだくらいに思っていたのです。皆さんも、きっとそうだ思います。

 ところが、縄文人は新潟県から青森にかけて狩猟生活を送っていたのです。何故解ったか?。山形県蔵王に行ったときの事です。
 ホテルにレプリカですが火焔土器と黒煙土器があり、埴輪展のポスターもあったのです。つまり、丸山三内遺跡が縄文時代の村落を表現しているのです。

 ところが、九州旅行で福岡県の宗像神社の展示室で縄文時代の翡翠の勾玉を目にして、ボランテアの方に聞いたのです。
 新潟県糸魚川の翡翠で、縄文時代には既に朝鮮半島の高句麗と貿易していたのです。
 とこが、日本には勾玉の穴を開ける技術がなく、縄文時代の部民の長が統率、祈りの儀式に首にかけてお祈りをしたのです。
 魏志倭人伝に、初めて登場する卑弥呼は九州説と奈良大和説に結着が付かず、論争が続いております。
 ところが、最近のハイテク技術で強力なビームを当てると岩盤であろうと8mの古墳の内部を透視して見ることができるのです。
 奈良県桜井市の古墳を透視した結果、埋葬されている人間が卑弥呼の没年と合致すことがわかったのです。
 ちょっと話は反れますが、女性しかないミトコンドリアのDNA解析で判るのです。
 日本人のDNAは、現在も過去にも存在しない特異なゲノムであり、紀元前10世紀ごろから紀元5世紀ごろまで縄文人(狩猟生活:犬歯などが発達)と弥生人(農耕民族:臼歯が発達)が1500年の間、共存して居たのです。
 狩猟生活のペルシャから、大陸を移動したインド・アーリア人、さらに分化してロシア系の北方民族が混在していたのです。
 また、沖縄人は別の縄文人だったのです。それだけでなく、島島によって遺伝子の配列が違うそうです。
 人類学上は、とても複雑のようですが事実です。
 
 なぜだか良くわかりませんが、日本の天皇と朝鮮半島の五王が統治・没年等が近似しているのです。また、当時世界最大の戦いと言われた白村江の戦いに、任那の日系人が2000人以上も戦いに敗れ、来襲を恐れた大和朝廷は、防人制度つくり、関東地方から多くの民が徴兵されたのです。「防人歌」として、万葉集に記載されているのです。

 参考に倭の五王と新羅の王と比較してください。
 讃:(仁徳天皇:405年代朝貢の記載
 珍:(日本の反正天皇の殯(もがり:現在の喪中)

 珍:反正天皇(433~439年 朝貢)
 済:允恭天皇(いんぎょう天皇(440~459)
 興:安康天皇(460~462)
 武:雄略天応(4463~479年)
 間違っていたらごめんなさい。

 倭王の5王は中国の先進国の文化・法律、技術取入れ、大和政権は地方への支配権強化及び中華帝国の皇帝の威光をかざし、従わぬ豪族の支配権の確立に利用したのです。当時は天皇家の威光は限られ、行田市稲荷山古墳から出土した辛亥鉄剣の文字は「治天下大王」と記してあるのです。これは、中国・皇帝の冊封王(貢物差し出す隷属的な王権)として倭の国を治めてよいと命令を発令したと解釈されるのです。
 5世紀の100年間、高句麗はアジアのおける先進国で、厳格な律令の下で、兵士たちの士気、高度な戦闘技術で大国「随」を2度に渡って20万の大軍壊滅させ、隋帝国は滅亡するのです。
  
 もちろん、隋は今でも使用可能な大運河を張り巡らし、流通の便や竜頭の巨大御座船で巨費を浪費し軍需費を節約したことあるのです。インドのタージマハール(マハラジャの王妃の納棺寺院)建設も皇太子のクーデターで幽閉され、対岸に己の黒御影つくりの寺院は基礎部分のみが存在)

 次の唐の太宗率いる大群も打ち破ったのです。しかし、高句麗も戦いにつかれ、滅亡して歴史の舞台から消えていくのです。日本の大和朝廷も、中華帝国から学ぶものが亡くなり遣唐使が廃止されるのです。

 日本は貴族の王朝時代の幕開けとなり藤原鎌足、冬嗣の時代を経て「竜の馬をあれは求めむ あおによし奈良の都に帰む人のために」と藤原貴族の時代が始まるのです。
 平安京までの道筋は、平たんでなく滋賀県大津の「近江京まで30回を超える遷都」そして、天皇の威光向上に立ちはだかる壁を乗り越えるのです。
 奈良の平城京は、僧院の増えすぎ・僧侶たちの権力排除に立ち向かった桓武天皇が遷都として侵略されにくく、外国の貿易が容易な近江の海(琵琶湖)から若狭湾に続く交通の要衝の平安京へと、唐の長安に模した条理の都を開いたのです。
なんとなく古代ロマンを綴りました。御意見賜りたく存じます。
 

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