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贅を尽くした庭園・収集美術品の多さ、すごいですね。

2014.11.19 (水)

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「毎朝、写真を見るとぎゅっと気合が入る」

 東日本大震災の被災地への思いは、1枚の写真との出合いがきっかけだった。気仙沼市でがれきの中、唇をかみしめて水を運ぶ少年。10日死去した俳優の高倉健さんは、最後の主演映画「あなたへ」(2012年公開)の台本にこの写真を貼り、持ち歩いていたという。高倉さんは被災地のことを常に胸に刻み、少年と心の交流を続けていた。

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 がれきの中を歩く少年は、同市鹿折中2年の松本魁翔(かいと)君(14)。震災の津波で同市新浜町の自宅が全壊し、近くの親類の家に身を寄せていた当時小学4年の松本君は「みんなの役に立ちたい」と黙々と井戸水を運んでいた。
 高倉さんは新聞から切り抜いた写真を「宝物」と言って台本に貼り付け「毎朝、写真を見るとぎゅっと気合が入る」と語っていた。
 高倉さんと松本君は手紙も交わしている。「気仙沼を立派にして健さんを招待したい」と松本君が送った手紙に昨年4月、高倉さんから返事が届いた。「常に被災地を忘れないことを心に刻もうと映画の台本に魁翔君の写真を貼って毎日撮影にのぞんでいました」
 「私は魁翔君があまり注目されすぎてしまうことをのぞみませんでした。人生で一度しか味わえない子供時代の日常生活を、できるだけ平穏に過ごしてほしいと願っているからです」と、松本君を思いやる心情もつづられていた。
 手紙は「遠くからですが、貴方(あなた)の成長を見守っています。負けないで!」と締めくくられていた。
 「健さんは心が熱い熱い人。俺もこういう人になりたいと思った」と松本君。手紙をもらったことはこれまで秘密にしてきたが「俺のように、読んだ人が元気をもらってくれるならうれしい」と言う。
 松本君は「健さんには大きな力をもらった。気仙沼が復興する姿を見守っていてほしい」と、高倉さんに復興を誓った。

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瓦はどうして不要な物の言い回しの「瓦礫」のようだと言われなければいけないのでしょう。
瓦には焼き物として、太陽光線が通過すときに、遠赤外線になるのです。
遠赤外線は体によく、金属・スレート系の屋根材に比べ、実験の結果ハツカネズミの生存率が長いのです。

瓦は不燃材です。しかも,高耐候・健康に良い遠赤外を透過・
しかも高耐久です。

日本はハウスメーカーに踊らされ、消費者は
24.6年ケ月でビルト&スクラップ。

世界で一番住まい短い寿命の家に住んでいるのです。
昔は裏庭に、杉の木を3本植えて、子供の誕生を祝ったものです。

その中に当然のように屋根は瓦だったのです。
村落に甍の波ができたのです。
鯉幟の小学唱歌はできたのです。

今は、小さなアユの姿が早瀬を登ってるとしか
言いようがありません。

TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

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日本には数多くの美術館があります。
山種美術館。ブリジストン・西洋美術館・足立美術館・本間美術館徳川家の美術館・足利美術館、近くにはサトエ美術館など個人の収集した美術品を堪能できます。

しかし、これだけの収蔵品と庭園に贅を尽くした美術館は記憶にありません。

足立美術館50,000坪の広大な敷地に春夏秋冬を愛でるのに
ふさわしい四季の移ろいを窓を額縁にしているのです。

早春の萌黄色・夏の獅子脅しの水の音、白砂青松の山水は
一幅の絵のようです。
秋は紅葉に借景の山々を移し、冬の雪は白い真綿のごとく
枯山水庭に処女風景を作り出します。

地元実業家「足立 全康」のおかげなのです。
館内には大観・玉堂・竹内西鳳・北大路魯迅・その他
多くの美術品が収蔵されております。

一度は訪れてて欲しい美術館の一つです。
日本人の心を癒しくれます。
お疲れになったら、茶室などで、抹茶などでのどを
潤してください。

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白砂に紅葉

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枯山水庭

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白砂の映える赤松の庭

                           
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踏み石と松と紅葉

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清流に思いをはせ、佇む茶室

埼玉の屋根屋さん。屋根屋は瓦・樋・金属屋根。OKです。
久喜市・加須市・白岡町・杉戸町・羽生市・古河市・熊谷市の皆さん応援してくださいね。
連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301

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姫路城は大東亜戦争で『なぜ』残ったのだろう。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

2010.10.16 (土)

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姫路城は大東亜戦争で「なぜ」残ったのだろう。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

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天下の名城。美しさにおいて姫路城をしのぐものはないでしょう。
姫路城は国宝であり、世界遺産でもあります。
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同じく「尾張名古屋は城で持つ。」と歌われておりましたが、米軍のB-29の爆撃と焼夷弾によって灰塵と帰してしまいました。

姫路は陸軍の部隊もあり、当然の事ですが攻撃目標になったと思います。

それが、なぜ、残ったのか。
姫路に住む人々の熱い思いが実った結果だったと思っています。
天領、飛騨の高山に行ったときです。
高山の人々は、火事が起こった時、それも自宅が焼けようとも、
高山の山車を守る為に駈けつけ、守ったから今でも町を練り歩く山車が12台もあるのです。
そんな話を聞きました。

私が復元修理をした春日部の東屋田村本店の蔵も焼夷弾で白壁だとB-29の攻撃目標になるという事で、黒く目立たないようにした話をお伺い致しました。

それと同様に大東亜戦争当時、姫路城も黒い網をかぶせ、爆撃の攻撃目標から守ったそうです。

更に幸運にも、投下された爆弾がさく裂せず、2箇所も不発弾っだたそうです。

他の爆弾も、ボヤ程度で済み、住民の皆さんの消火活動によって
大火にならなかったそうです。

また、明治の西南戦争でも、薩摩の下級武士団と明治政府が激突することなく、事なきを得たそうです。

本当に運の強いお城ですね。
また、それだけでなく、明治政府の武士階級のシンボルとして存在したお城も北から解体されて、関東地方で終結したのでよかったのですね。

話は変わりますが、姫路城に家康の孫娘「千姫」も一時起居しており、「千姫の部屋」として保存されております。

また、私たち屋根屋は常に目が屋根に行き、瓦の瓦当に色々なもんはあったので、歴代城主が、修復拡張していることも、
瓦当から解り、自分の心の中でほほ笑んだ記憶があります。

また、城下の「明珍」も、歴代の城主の甲冑作りや刀鍛冶をなりわいにしておりましたが、明治政府の廃刀令によって、甲冑・刀から身を引かざるを得ず、その昔、千利休の依頼を受けて、火箸を作ったご先祖の記憶をたどり、火箸作りになったそうです。
それも昭和50年代に入ると、暖房器具の発達により、火箸の生産も雲行きが怪しくなり、転業した話を購入した「火箸風鈴」の説明書きを見て、老舗の生き方に感心した記憶がよみがえっております。

また、新聞で阪神震災の時だったと思いますが、姫路城の大黒柱は一面が、1000mmにも及ぶものですが、もし、姫路を震源とする震災が起こっていたら姫路城はつぶれたでしょう、という記事を読んのです。

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日本一の名城『白鷺城』

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美しいデザインの鉄砲狭間

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1000mmにも及ぶ西大柱

                           
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この3人の子供たちも今は子育て真っ最中の父親です。

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瓦当に平家の紋どころ『揚げは蝶』や秀吉の家紋 「五三の桐 』文様

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
当社ホームページはhttp://www.ogiya.co.jp です。
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倉敷にやってきました。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

2010.10.05 (火)

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倉敷にやってきました。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

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もともとは、この一帯は備前・備中・備後として栄えました。
奈良時代には遣唐使として、藤原氏と不和になり、2度も危険な遣唐使として唐の都「長安」赴いた吉備真備がおりました。

聖武天皇時代には、国分寺・国分尼寺なども建立されております。
秀吉の時代になって、宇喜多秀家が入封され、干拓が始まりました。

そんなことよりも、倉敷の今日あるのは、だんだん消滅していく蔵作りの建物が、倉敷川に沿って数多く残っておるからでしょう。

蔵作りの街並みは、川越・喜多方・栃木市など数少ない存在です。
そして、今はこの蔵で、お酒、お土産など気の利いた小物を売って勧告客を集めております。

また、旧大原邸・大原美術館・倉敷紡績の工場のリメイクされた
粋なお休み処・とっても雰囲気が良くて、若い女性には人気のスポットです。

最近は新幹線で東京からも近くなり、また、新たな観光スポットの瀬戸大橋も出来上がりました。

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倉敷市伝統美観地区
水路によってつながれた瀬戸内海と大阪の富をドッキング。
商人たちが栄え、蔵造りの街並みが今を伝えております。

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橋のたもとにある旧倉敷町役場。
子供たちをこの役場前において「3人で此処で遊んでな」と言って街並みを見てまわらいました。
今から35年前くらいの出来事です。

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大原美術館。クラボウ社長の大原家の個人所有の美術品を収集し、。展示した美術館です。

                           
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屋外展示品

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明治の倉紡工場の構造材を極力残し、レンガ作りにリメイクしたアイビスケア
妻いわく、ビールがとてもおいしかったそうです。
わたし、知らん顔です。
このレンガの壁に時を感じませんか。
まだ、余り蔦が絡んでおりません。
今はびっしりと蔦が絡んで、レンガの赤と緑の蔦が。バランスをとっていい色合いになっております。
35年の歳月は、隠しようもありません。
昭和55年頃の写真です。

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今は亡き友人と瀬戸大橋を思い出して。『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

2010.10.03 (日)

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瀬戸大橋、日本一の景観と長さ13.1kmを持つ海にかかるつり橋です。
この瀬戸大橋は、人工衛星からも確認できるそうで、鉄道、自動車道を併せ持つ海にかかる橋としては世界最初で、しかも、高低差も確か1.5mのもなると言われております。

この瀬戸大橋は日本の技術の粋を集め、東大教授坪井敦氏の設計によるもので、この橋の最初の発案者は明治22年5月22日・香川県議会議員「大久保諶之丞が讃岐鉄道の開通式の祝辞の中で提唱したのが始まりです。

その間に修学旅行の学生を載せた国鉄の宇高連絡船・紫雲丸事故で168名の尊い命を失った事、そんなことで、本四架橋の話が現実味を帯びてきたのです。

ルートは3か所、宇野・高松ルート、児島・坂出ルート、他1ルートであったという。
でも、すごい話ですよね。
話が出て98年後の1987年に完成です。

しかも、9年6カ月の歳月を必要としたのです。

昔、話に聞いたのですが、何でも日本一になったらすごいんですね。

危険な仕事をするとび職の話です。
この瀬戸大橋を国家プロジェクトとして、話が出て、最初工事で細いワイヤーを張る仕事が大変だったそうです。

海風は常時あって、それはそれや、黒部ダムの断崖に道を作る難工事と同じだったんですね。

黒部の暴工事の写真はブログに掲載してあります。

下は海、落下すれば海面に叩きつけられ、即死です。
もちろん、最初の鳶の仕事ですから、足場はありません。

それはそれはそれとして、峰一が存命中の事です。
理科学部の同期とその伴侶との一緒の旅でした。

瀬戸大橋の最高の撮影ポイントは、
鷲羽山のてっぺんの岩の上だそうです。
これは倉敷の岡本瓦店の専務さんに案内されていったので知っているのです。
そこで撮影したのがこの写真です。

此処は何がよいかと言えば、360度の視界があることです。
もし、このブログをご覧になって、瀬戸大橋に行かれる時は、ぜひ鷲羽山の頂上の岩の上に登って下さい。素敵ですよ。

与島は真っ赤なサルビアの花とルイ14世のヒマワリが咲いてとっても良かったです。

サルビアや  脳裏の浮かぶ 友の顔

今は亡き   友と大橋   懐かしく

待ってろよ  近い将来   我も行く

碧き海    日本の技   集積し

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鷲羽山より望む瀬戸大橋

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上記の写真とつなげて御覧下さい。
瀬戸大橋の13.1kmが実感できます。
日本が世界に誇る自動車・鉄道架橋です。

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サルビアの花が咲き、ロマンスを書きたてる帆船があって楽しく遊べる与島
                           
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真っ赤なサルビアと瀬戸大橋

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今は亡き野中峰一と奥様と光子のスリーショット。

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