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記事一覧

聖天様は男・女の悩み事をなんでもかなえてくれる神様です。

2013.12.15 (日)

男と女。切っても切れない。
切ない時に、運命は非常のときもあり、
ハッピーのときもある。

いやな男と手を切りたい。
子種が欲しい。
結婚したい。
この聖天様なら、男と女の悩み事
全部聞いてくれますよ。

ただし、約束をちがえると、怖い神様でよ。
たたりは願の100倍。

どうして象なのに大根と甘いものが好きなのでしょう。
祈願には、二股の大根を奉納しよう。

聖天様は、男神の象と女神・吉祥天で一組です。
もともとは、男神が悪行ばかり働いたものですから、
首を挿げ替えられたのです。

しかし、もともと女好き、そこに現れた吉祥天に
一目ぼれ、結婚を願い出るが、断られる。
吉祥天は、善行に努めるならば、結婚を約束します。

男神は約束を守り、和合する。
その神通力を人々に与え、約束を守りものに倭は、
男と女の悩み事を何でも解決して下さるようになりました。

ハッピー・ハッピー。約束を守ってね。

SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS
「久喜市鷲宮の河川砂丘のお話」

私が住む、久喜市鷲宮にも、利根川の河川砂丘の「大輪の松
原」があります。    
昔、江戸との物流を示す古利根川、そこに川の港
があり、帆掛け船が往来し、八つの帆がいつでも
見ることができた「八甫」の地名が残っております。

明治の利根川の決壊で法泉寺が流され、池ができた
「法泉寺池」があります。
今は半分の大きさになり、太公望も減ってしまいましたが
そんな名残もあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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大根を食べる男神の聖天様の奉納された石の扁額

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上州・花輪村(現在群馬県・みどり市)の石原 吟八郎の
名工うたわれた後藤正綱の鳳凰です。

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鷲の彫刻

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龍が玉をくわえています。
基壇の隅の化粧の彫刻です。
右端は子供たちが相撲を取っている彫刻です。
心が和みますね。

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子供たちが大きな木魚を引きずり回している
彫刻です。
不思議なことに、この妻沼の聖天様の本殿には
松竹梅でなく、松竹しかありません。
どうしてでしょう。

さいたま県久喜市の屋根屋の粋なおっさん

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連絡先は埼玉県久喜市鷲宮中央1-19-10  扇谷 芳雄
FD0120-58-9901  TEL 0480-58-0301

埼玉の日光と言われる妻沼聖天様に!

2013.12.14 (土)

天高く馬肥ゆる秋・・・・・。
我が家の庭にもアキアカネが
百合の花が終わり、実をつけ始めた
小枝に止まって、夫婦の絆を見つけていた。

何処かふらりと出かけたくなり
妻と車に乗った。
クルマは、妻の実家の方向に向かって走っていた。

小1時間走って、一度は行ってみたいと思っていた
妻沼聖天様につい来ました。

聖天様は、日本3大聖天と言われ、
今でも参拝客が絶えません。
建立は源平合戦の始まる前、治承3年と言われております。

まだ、このころは、公家が政治を行い、武士は
公家の番犬の様な存在でした。

その頃.朝廷内で、皇位化粧問題に端を発した、
保元・平治の乱で、源氏は敗れ、
源頼朝は常盤御前の命乞いの結果、
平氏の力のある、伊豆の蛭ヶ小島に流されたのです。

後に頼朝を担いだ小豪族の北条時政は平氏なのです。
周りには、伊東市などの有力平氏の豪族が
ひしめいていたのです。

そんな時代背景を想像してください。
もともとは源氏であった斉藤実盛は
平治の乱で源氏が破れたにもかかわらず
義の武将だったため、長井庄(熊谷)を安堵され、
源氏の木曽義仲が旗揚げしたにもかかわらず、
平家側について、倶利伽羅谷の合戦で、
敗れ、篠原の戦いで討ち死にいたします。

その時、斉藤実盛は73才、当時としては
すでに隠居の身、白髪を恥、墨で染めて戦に臨みました。
篠原の戦いで、敗走する平家軍を顧みず、
1騎踏みとどまり、義仲軍に立ち向かって、
最期を遂げたのです。

木曽義仲が首実検で不審に思い、
池で首を洗ってみました。
墨が落ち、見覚えのある命の恩人「斉藤実盛」の首でした。
(現在の石川県加賀市柴山町の池)
義仲は、周りをはばからず、命の恩人を
殺めた、自分の愚かさに号泣したといいます。

かって、旅行で行ったことを思い出しながら
見てまいりました。
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我が家の庭に羽を休める秋あかね

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白髪を恥て、髪を墨でそめ、死を覚悟しての出陣

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長井の庄と呼ばれた頃の聖天様の鳥瞰図
利根の流れと筑波の峰がよくご覧になれます。
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山門の仁王像
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聖天様拝殿

さいたま県久喜市の屋根屋の粋なおっさん

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屋根リフォームの粋なおっさん
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鷹がり行列:応募者がじゃんけんして役どころを決めたんですって。

2013.12.11 (水)

岩槻城は太田道灌様の築城に始まります。
太田道灌は川越城・岩槻城・江戸城の城主で鷹狩を好んだのです。

道灌が鷹狩の最中、雨に降られ、立ち寄った農家が
文京区と豊島区の隣接しているところに
今でもヤマブキの里として残っております。

築城は江戸城は太田道灌・岩槻城は太田資清・川越城は道灌父子です。
戦国時代、小田原城の北条氏;関宿城・忍城の足利氏・岩槻城・江戸城・川越城太田道灌が睨み合っていた。
古河城の関東管領:扇谷上杉氏:そして、
山内上杉と絡み合っていた。

また、深谷には妻光子の祖父の実家:深谷上杉氏がいたのです。
そして、北条氏が秀吉に敗れ、桃山時代に安定するのです。

大阪城落城によって、家康の天下になって、戦乱が収まったのです。

周りを荒川に囲まれ、今でも城址公園が残っております。
岩槻の蔵つくり、荒川の桜土手、のんびりと散策することは
心が洗われる思いがいたします。

引用です。お許しを。
服装
鷹狩りをする時の定番ファッション「狩装束」。桔梗紋が入った着物に、左半身には射籠手(いごて)を装着。

帽子
馬に乗って弓を射るため、激しく動いても落ちない綾藺笠(あやいがさ)をかぶる。

右手
山吹の小枝

左手

小物
矢を入れる空穂(うつぼ)

鷹狩りをテーマに、全体をコーディネートしている太田道灌さんですが、一つ気になるのが右手の山吹。
なぜ山吹を手にしているのでしょうか?それは太田道灌と山吹のある言い伝えがあるからです。

太田道灌と山吹の言い伝え

江戸時代に記された書物によれば、鷹狩りをしていた道灌は、雨が降ってきたので農家で蓑を借りようとしました。ところが、農家の娘は蓑ではなく山吹の花を黙って差し出したので、「花がほしかったのではない」と道灌は怒って帰ってしまったそうです。
この話を聞いた人からは、「娘は、『七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき』という古い和歌に『お貸しできる蓑はございません』ということを託したのでは」と言われ、道灌はたいへん驚いたそうです。
それを機に道灌は歌に関心を持つようになり、後に歌人として名を成したと伝えられています。

OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO

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余はじゃんけんで勝ち進み、徳川家康んなったのじゃ。
今まで、馬にも乗ったことがなかったが、乗馬クラブ部通って
お金を使ったのじゃ。

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近習衆。ほんとに腕がたつやろか。心配じゃ。
沿道で見ていつ方、曲者が出たら助けてください。

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長刀を持った腰元衆。曲者の足をかつ切ってくれよな。

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槍衆は少しは頼りになりそうですね。

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わしは家康殿に能をお見せするために京からやってきたのじゃ。
長旅じゃったよ。

埼玉の屋根屋のおっさん『ルーフ』

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久喜市・鷲宮で140年を歴史を刻んできました。
私は瓦の事なら門前の小僧です。
だるま窯・トンネル窯・そして屋根工事店:それだけではありません。
雑学なんでも相談ください。

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古河歴史博物館 素敵ですね。

2013.06.05 (水)

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連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
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『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』
TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。
歴史の波にさらされたものは、嘘はつきません。粗悪なものは歴史の波に中で消えてゆきます。
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古河市は古くから開け、貝塚があって
かっては海に面していました。

また、常陸の国と呼ばれ、万葉集では筑波山と並んで
遠い九州の防人に行く人々が別れを惜しんで
歌を詠んだとも言われております。

また、義経を慕って静御前が平泉に下向の途中で
病に伏し、亡くなった言い伝えのある所でもあります。

中世には古河公方と呼ばれる関東管領を務めた
足利成氏(しげうじ)をはじめ五代120年間の
治世があったところです。

こんな歴史的背景の中で
鷹見泉石を輩出したのです。

鷹見泉石は藩主土井利厚の信任も厚く
幕閣補佐の立場で、多くに案件にかかわり
オランダ語をはじめ多くの言語に精通し
ロシアに行った大黒屋光太夫や間宮林蔵・渡辺崋山
近藤重蔵・ロシア使節レザノフの来航・ペリー来航
大塩平八郎などの重要事件にかかわり
その記録・資料が彼によって残されました。

国の重文になる資料が陳列しあります。
最初に鷹見泉石像を見たとき
中学の歴史の教科書で見た記憶がよみがえり
スゴイと思いました。

また、光子といったパリのサンマルコの丘で
陽気なおじさんがストリートオルガンで
詠っているの見かけ光子とツーショットしたオルガンよりも
すごいのが陳列してあり、光子を連れていく
きっかけになったのです。

一度皆さんも散歩がてらに出かけてみてはいかがですか。

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古河歴史博物館のストリートオルガン。
お願いすると演奏していただけます。

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陳列してある年代物の雛段飾り

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古河歴史博物館の裏側で

                           
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鷹見泉石の晩年の住まい

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鷹見泉石邸に植樹されておりました椿の花の前で。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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鴻巣花祭り(花のオアシス)チュ-リップ祭り

2013.06.04 (火)

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  雨漏り奮闘記 さいたまの屋根屋のおっさん
 
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咲いた・咲いたちゅりーぷの花が
春風に誘われ、光子と二人で
鴻巣の花のオアシス「コウノトリ」に行ってきました。

鴻巣の小中学校の生徒たちと
ボランテアのお姉さんたちの誡があって
ちょっとさびしさもありますが
見事に咲き誇っておりました。

ハウステンボスのチューリップには
及びませんでしたが幼子ごろに戻りました。

帰りフラワーセンターで
うどんを食べて帰ってきました。

何となくウキウキした気分で
鼻歌を詠いながら青春を味わいました。

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花嫁街道をゆく

2013.05.24 (金)

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『たかが瓦、されど瓦、世界遺産に使用されている資材だよ。』埼玉の瓦屋さん・雨漏り奮闘記
シルクロードに興味深い瓦が沢山ありました。
クロアチアでは、城壁の上から素晴らしい瓦屋根の街並みが
見渡せるように観光ルートが設定されていました。
瓦屋根を大切にしましょう。
TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

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平成25年4月12日(土)
久喜の市役所前に5:30出発して「道の駅・とみうら」による予定でしたが、和田浦駅の近くのパーキングにバスを止め、
のぼりはじめ、あてにしていた弁当を
買う機会を失ってしまった。

お汁粉の飲料水が腹の足しになるかと思い買い求めた。
お昼を持ってこなかったというと、リーダーの人に
叱られてしまい、サンドイッチをいただいた。

軽い筋トレして、登り始めた。
長い間、山登りと、震災の後の疲れで、体をなましてしまい、
思ったよりきついハイキングでした。

今のなまった体では、これが限界でした。
皆仲間ということで、お弁当をいただいたり、
とても楽しかったです。

商売から離れて、とても素晴らしい時間を持つことができ、
同好同志はいいなと思いました。

可憐なアザミの花、芽吹いたばかりの紅葉、
頂上から見る東京湾、天気に恵まれ、
楽しいハイキングでした。

帰りに浜金谷温泉につかり、疲れと筋肉がほぐれ、
とっても良いハイキングでした。
素晴らしい仲間に会えたことが
今日一日の大収穫でした。

6月の尾瀬は九州旅行とダブり
ちょっと残念ですが。

全行程12.5キロでしたが。
帰りはバスで疲れが出て、
白川夜舟のなってしまいました。

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頂上より望む東京湾

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道標とハイキング仲間。

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楽しく昼食をいただくハイク仲間

                           
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リーダーご夫妻

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修験道の滝で

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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日本の風土に合った瓦が健康にもよいこと知ってますか。
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住まいの基本は屋根にあり。屋根は文化だ。芸術だ。
屋根材と外観の材料選びで『素敵』が違う。

武蔵二宮金鑚神社初詣

2013.03.06 (水)

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雨漏り・屋根・瓦・漆喰・雨樋・屋根塗装の気なる方は
メール、TEL・FAXなんでも相談OKです。
たかが屋根・されど屋根、奥が深い、美学も有ります

昔々、武蔵の国に日本武尊が
東征の際、身に着けていた金物を
深山に奉納したのが始まりで、
原始宗教の起こりで、日本でも
諏訪神社などと同じく
山全体がご神体になっているのだそうです。

金鑚はもともと砂鉄が採掘された
場所で、その昔和同開珎が作られたくらいでしたので、
鉄鉱石の鉱脈があったと考えられます。

鉄は刀剣などを作る原料で、
どうしても朝廷の管轄下に置きたかったのでしょう。

青銅器から鉄器に変化する中で、
鉄器は一大革命をもたらしたことでしょう。

1/4天気がよく上州三山がまじかに迫ってきた。

また、富岡製糸工場に波と扇の変わり
鬼があったので後日のために撮影。

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