1958年11月23日 東京の式場で式を挙げで光子と結
婚。
当時は男性はお決まりの洋装、光子は角隠し,三々九度の杯を神主
から頂いき愛の誓いです。写真撮影で仁平の妻、文江がそっぽを向
いていた。違和感があり鮮烈な思い出です。
これも、嫁・姑のなせる業。今はどちらも故人。南無阿弥陀仏。
いやなことは忘れよう。
不動岡高校の理科学部の仲間たちはどちらが子供の生まれるか速いか?賭けをしていたそうです。
当時の新婚旅行先は南紀が相場でした。
南紀は会社の旅行で行ってつまらない想い出が有ったので、山陰
選択したのです。当時新幹線が東京―大阪が走行始まったばっかり
でした。今では北海道・九州・秋田・新潟日本列島、近くなった
よ。
生まれて初めて乗る心地よいこと。まして新婚旅行。
京都で降りて駅前の法華倶楽部に宿泊。(京都タワーにあるよ)
翌日は、山陰本線に乗車、三保の松原で光子が自転車に乗って松原の先端まではしゃいでいた。
若いことは何でもできる。鳥取砂丘の広大な広さに驚いたので
す。
(シルクロードのタクラマカン砂漠はモットでかくて150Kのスピー
ド
で4日ケ日。運ちゃん交代で運転。我々バスでごろ寝。)
人間の姿が黒い点に映っていたのに驚いたのです。
当時は鳥取には嫁にやるな。そんな言葉あったのです。
当時の鳥取は貧乏でした。今では、8桁農業と言われるくらいで
す。豊かな農業の代表です。
因幡の白うさぎと大国さんで有名ですが、今では白兎海岸国道に分断さ
れて見る影もありません。
菊のご紋神社が観光客を呼んでますが。
今日の宿泊大山に向かいました。枯れ尾花が美しい光景で迎えて
くれました。当時関東地方では丸いお豆腐見かけなかったもんです
か仲居さんに聞いて笑われた記憶があります。
旅の夜風に吹かれ温泉につかり体を癒しました。
何もかも楽しかったです。
翌日は萩へ行き松下村塾に行き明治の壮絶舞台を連想したのもの
でした。
明治も今では、過去のものです。江戸城が篤姫のお蔭で無血開城
。
戊辰戦争は上野寛永寺で始まり北海道の函館戦争で終結したので
す。土方歳三見事な最後。
総大将の榎本武揚はオランダから持ち帰った国際の法律の本「海
律全書」官軍の黒田清隆は受け取り函館戦争は終わった。しかし有
識者いたためか斬首は許さず江戸送りですませ、後に榎本は文部大
臣に任ぜられロシアの行ったものです。
明治時代開いた萩城へ行き往時を思い起こした。
翌日は蒸気機関車に乗って靑海に向かった。のんびりしてまし
た。旅の風情がありました。
松と青い海の織り成す風景でしたがあまり記憶がありません。
ジーゼルカーに乗り換え秋芳洞・秋吉台へ向かった。凄い鍾乳洞・又、驚き、出口はカルスト台地、初めての馬の背に揺られ、セーターのエンジ、青い空と栗毛の馬、銀髪色の枯れ尾花。
新婚旅行、何事にも若いこととは夢の中。今では八十路坂、老いたこの体、枯れることやら。