下山事件事件など戦後4年、世相があれて、何処にもぶつけられ
ない嫌な事件が多かったのです。
子供のせいかうわつっらは理解できても詳しは解りません。
それでも、太陽は昇り、雨が降ったのです。
昭和26年2月22CMの積雪、太平洋側では大雪で木柱電信柱が
20本近く倒れ、復旧も遅れ、寒い日を過ごし、ランプ生活でした
。
私にとっては1ヶ月位復旧に懸かった記憶です。長くつの無い時代
です。
来る日も来る日もランプの火や(ほや)掃除をした記憶残って
います。9歳だったんです。瓦干し場の雪はいつまでも置いて
おくわけにいかず3輪車で江川の捨てた記憶です。
10歳の時に、洞爺丸海難事故、ほとんどの乗客が海の藻屑でsた。南無阿弥陀仏。鉄腕アトム誕生です。好いこと、悪いことで
も良く重なりました。
遅れる事、昭和50年北朝鮮と南は大韓民国(金日成:李承晩)
それで共産主義者の怪事件が多発したのですね。
町中は美空ひばりの歌声で明るさを庶民を癒したのですが、
闇市が多く、スリ・かっぱらいは日常茶飯事、10円で女性の
あそこマッチが消えるまで見えた話も聞こえてきました。
韓国は北朝鮮の攻撃で首都ソウルソウル陥落、マッカサーが
一時原爆使用を考えたのです。ところが時の米大統領トルーマン
がマッカサーを解任、有名な言葉に「老兵は去るのみ」。
毛沢東も北京に引っ込んで大3次世界大戦は泡沫に帰して
良かったのです。
小学校の登校時にB29の編隊が南に飛行するのをよく見かけ
ました。実家の渡辺ミシン工場も大量のボタンを縫製していたの
を覚えています。
母やすは小炭で鼻の穴まで真っ黒にして炭団さんに売って、
5人を食べさせてくれたの
です。
啄木のように「働けど、働けど、楽にならざる。」でした。