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江戸、東京の名所 早回り

2019.06.29 (土)

江戸、東京は、江戸開府から400年以上の歴史ある世界の都市です。私の目で見た景観を足早にご案内いたします。50年以上前の京タワーに高校時代、私が18才に初めてにいきました。直ぐそばの増上寺は江戸城の鬼門に建てられた幕府の直轄寺です。東海道珍道中のツアーに参加して妻と行きました。
目白の椿山荘は次兄の長女の結婚式で行きました。三重塔が和風庭園の風情を醸し出しています。スカイツリーご存じ事、浅草寺もしかりです。

池袋の近くの鳩山会館は鳩山四代の政治の舞台、鳩、ミミズク等のモチーフと緑青の屋根、明治の社交場「鹿鳴館」を彷彿させ、教育の大切を教えてくれる絶好の場所です。バラ園も素敵です。小高い山ノ上で欅の巨木が夏でも涼しいです。今でも政治の舞台です。現在の相続人は鳩山由紀夫氏です。

コンドルの設計した古河庭園は和洋の素晴らしい庭園と明治のレトロな建物も見ごたえがあります。古河庭園は足尾鉱毒事件の古河市兵衞の邸宅です。田中正造や足尾鉱毒で離村した村人たちは、無念の気持ちでしょう。現在も渡良瀬游水地に役場跡、お墓が現存しいます。

江戸城(皇居)も見学できます。馬に乘った警察官も行き合う事もあります。
高田の馬場近くの神田川脇の「山吹の里公園」義弟の泉瓦店の直ぐ側です。

すすきのミミズクで有名な鬼子母神は(鬼は角の無い字です)インドの夜叉神です。人間の子供を食べ、500人の夜叉の子供を育て人々に恐れらていました。鬼子母神の鐘楼を義弟のKが屋根を施工したのです。昔、この辺りはススキの原っぱで働き過ぎで患った母を見かねて阿弥陀仏が「くめ」に諭したのです。ススキでミミズクを作って売りなさい。ミミズクは売れて「くめ」は母に薬を買って元気になって幸せなったのです。

目黒「雅叙園」は息子の結婚式の会場です。天井画が素晴らしく、リッチな気分になりました。桜の名所でもあります。桜の満開の時に行った目黒川、墨田公園と上野公園もバスで回り醍醐寺の秀吉気分に浸りました。

浅草寺には松下幸之助の寄贈の大きな提灯が有名です。提灯の下部に竜の絵柄はご存じ無いでしょう。見てください。仲見世も粋な小物売っています。浅草寺の本尊は漁師が網にかかった1寸2分の仏像です。いくら元の川に返しても戻ってきたそうです。厨子に安置したのです。

美術館、博物館は限りなくあります。アメ横も一度はゆっくり行ってみても損はないですよ。御徒町の地下街にダイヤモンド・金市場がありますよ。目の保養にいかがですか。アセアンの食糧品街もあります。話は此のくらいにしておきます。

頼朝伝説の仁右衛門島

2019.06.29 (土)

海外から帰国する時、機上から眼下を遠望する時、雄大な九十九里の曲線美のなかに風力発電のプロペラが長閑に廻る光景を視ながら、成田国際空港に離陸するのです。

この曲線美の何処かに仁右衛門島が白波のなかに消されているのです。
仁右衛門島に、二十歳ごろ日本ユニカーの仲間と慰安旅行に行ったときです。個人所有の島で小舟にのって行きました。
遥かな記憶の中でブログを書いてます。頼朝伝説の残る温暖な小島ですがロマンがあります。
 

頼朝は石橋山の戦いで、平氏の梶原景時の温情で伊豆堂ヶ島に逃げ一命とりとめ、伊豆の対岸の仁右衛門島に身を潜め再起を図ったのです。
 この島は古くから観光名所で新日本百景にも入るくらいです。もっとも印象に残っているのが玄関前の大蘇鉄です。再起を図るため、千葉氏との会見に百姓(実は百姓は100の姓=庶民)に多くの名字を賜下したのです。そのため下総の国は色々な名字があるそうです。
風光明媚な堂ヶ島は、頂上に大きなホールがあり、青空を仰ぎ見ることができ、海水は群青色を解き放ち、頼朝わずかの時を光の空間と美しいさに心安らぎ、源氏の棟梁として、あるいは政子のために多くの軍勢を要する千葉氏の前で一歩も引かず、大見えを張ったのです。
 当時、平家で非ずんば人で非ず。と豪語した時代ですが清盛の没後、地方の平氏達は、京の警護・侍所警護に多大な費用を科せられ、すべて己の負担で解決したのです。こう言えばかっこいいのですが、犬同然処遇だったのです。