現在、防人が別れを詠んだ河川の港(小崎ヶ沼)は場所が特定されていないのですが、岩槻~行田の古墳群の範囲と思われております。利根川の氾濫、蛇行で繰返し防人は移動した「津の港」まで行って家族と別れを惜しんだのでしょう。
この小崎ヶ沼には歴史の教鞭をとった不動岡高校の前田先生と生徒15名位でサイクリングがてら、高1の時に行ったのです。女性の方が多かったのです。♪♪♪。
なんの知識も無く、埼玉古墳群をみて(現在のように整備されていない時代)前玉神社や石田堤行きました。
前玉神社(式内神宮)の一対の灯籠の右側に「崎玉の津に居る船の風を いたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」…。左の灯籠に「崎玉の小ヶ沼に 鴨ぞ翼きる 乙の尾にふりける 霜を掃ふとにあらし」防人「高橋虫麿呂」が詠んでます。この歌は白村江の戦いで大敗を期した高麗から攻め居る事を恐れた大和朝廷が、九州に防御体制を敷いたものです。
その他にも、行田工業団地内の「八幡山公園」に剥き出しの古墳に防人詠んだ2首の詩が刻まれています。埼玉県知事「畑 和」の石碑もあります。
石田堤は「のぼうの城」で野村満作の出演で有名になり、石田三成、大谷吉継が忍城を攻めを描いた映画です。秀吉の北条氏康の小田原攻めの武蔵の支城の舞台です。
現在は鴻巣市袋地区に「石田堤史跡公園」が建てられました。高校時代の思い出です。
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防人の小ヶ崎沼(崎玉神社)と石田堤(のぼう城)
猿島茶と境の川の一里塚
久喜市栗橋と野田市関宿は、利根川(江戸川)を挟み対岸に茨城県境が(坂東市)在ります。境の地名は、島根県の宍道湖の「ゲゲの鬼太郎」で有名な境市や利根川を対岸に持つ羽生と邑楽郡の羽生市側にもあります。字は違いますが大坂府堺市も有ります。
坂東市境は全国でも珍しい河川の一里塚が在ります。道の駅「境」の江戸川の堤防上にカッコ良い石の灯籠が目印で銘板もあります。
江戸時代の流通の主体は水運でした。水運を司る琴平宮が関宿側にあります。
銚子、上州(群馬県)、武蔵の名産や五穀、木材、長瀞の緑泥変岩、三波石等も荒川を利用して江戸に搬送されたことでしょう。
外にも利根川沿岸に茨城百景記念公園が、境のほかに守谷、松戸(柴又の渡し:風天 の寅次郎)四阿(茨城県小山)にあります。場所によっては、渡船場で今も現役のところもあります。境は土・日運航して街おこしを担っております。
話は変わって猿島茶は静岡、狭山、岡山、紀州のお茶に先駆けて輸出されました。あまりにも売れすぎて仲買人の悪知恵で柳の葉を混入させ輸出したのです。その為、今では無名の茶ところになって狭山、静岡茶に負け今では生産額が減り、地域ブランドに各下げになってしまいました。
また、明治時代に入り「富国強制策」の影響もあり、オランダ人の土木技術者「ムルデル」が明治23年利根川と江戸川を結ぶ運河を建設し、最後の仕事して帰国したのです。江戸川と利根川では水位の違いをパナマ運河の開門型式で克服したのです。近くに東京理科大もあります。
しかし、鉄道、道路の整備によって現在は使用されなくなり、桜の名所で流山側に割烹料理店が出来て乙な桜見物できます。お勧めします。
最後に利根運河の完成で、外洋船(大型蒸気船)が発達し全国の港から 東京に物流が入るようになって猿島茶の輸出は絶たれたのです。