六月の土日は、加須インター近くにある浮きの里は,花菖蒲が咲き、茜たすきに紺かすり姉さんが田舟を漕いで足踏み水車回っていることでしょう。潮来の風景とおなじです。この浮きの里には氷河期の特有の植物と里山の風景が色濃く残っております。菱や食中植物の宝庫です。駐車場や水洗トイレも完備され木道もあって散歩がてらに行ってみてはどうですか。。高見台もあるのです。
沼海老、オタマジャクシ、メダカ、運かよければ亀に会うかも知れません。地シバリの黄色い花も見ごろです。
帰りに加須のうどん等も粋です。加須のうどんは利根川の反乱で肥沃な堆積層に恵まれ二毛作が可能になり麦畑が広がっております。今は都市化の波で住宅地になって耕作放棄地ふえるばかりです。
もし、時間があったら不動尊の五箇宝を買って総願寺の編額を住職頼んで見学したらどうですか。くすんでよく見えませんが関孝和の弟子が羽生から加須近在に多くいたのです。板倉の来電神社の編額よく見えます。関孝和はキリスト教を信奉してたことはあまりしれれておりませんが。
五箇宝は参勸交代の大名、家来のお土産だったのです。
秩父街道、中仙道から故郷に持ち帰ったのです。縁起の良い菓子です。熊谷と加須の特産品です。
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加須市 浮野の里
成田山と野田市関宿の地名
野田市関宿町は明治初期30,000人口で木更津市についで千葉県第3位の町(関宿)です。
寺町、台町等の地名を残しておりますが今は鉄道、高速道路等の流通良くなり寒村化しています。
当社も仕事の関係で関宿と多くの関わりを持っていました。木間ヶ瀬のk大工仕事で駒形神社の屋根葺き替えをしたときの事です。見渡す限り全面に稲穂が揺れる穀倉地帯の風景広がっておりました。小さな杜です。木々に巻き付いた縞蛇ポトン、ポトンと落ちてきたのです。ビックリしました。
そもそも、駒形神社は、将門の名馬が飼い葉桶の水を飲んだ所餅が入っていて喉を詰まらせ死亡したため、村人が社を建立したのだそうです。
平貞盛の密使のなかに「桔梗」と言う間者いたそうです。貞盛は碓氷峠の関所通り、京都へ逃げ帰り平将門征伐のために成田山新勝寺と太田の豪族藤原秀郷の合力で関東を朝廷の管理下に統治できたのです。神田明神は岩井(磐井)の神田(カデ山)の地名を取ったものです。大手町の首塚も将門の呪いで移設しようとすると事件が起き当時のままだそうです。
坂東市、野田市、春日部市には、将門由来の地名が多いのは菅生沼を琵琶湖見立てて着けた地名だからなのです。
武者土、〆切、古布地、山崎、三ヶ尾等があります。私は、仕事で色々ところに行き、地域の知識を得ることは人脈でき一石二鳥です。
駒形神社の氏子の人たちは桔梗の花と成田山の参詣にいかないそうです。こんな話も時代と共に忘却の彼方流され忘れられる地名です。
消えた帰国者乗せて海岸の砂浜に乗り上げた運搬船
豪華客船 日本丸で小笠原の父島に行った時の話です。日本丸はレインボウブリッジを通過できず横浜のメリケン波止場に係留され浜での乗船です。
故人の健ちゃん、川島君と大島に行ったときを思い出しながら乗船したのです。
バンドとカメラマン迎えられ乗り込みました。二時間位待たされ、銅鑼がなり、浜の風景を船室ベランダからボンヤリと望みながら光子と至福の時間を過ごしました。朝、目覚めると八丈島辺りだったと思います。日本丸は、阿呆鳥の生息する南鳥島や黒潮に刻まれた絶海孤島を通過し、船内見学やno taxの買い物、ルーレット場所など見て回りリッチ気分で妻と人生を乗り越えた幸福を感味わい、朝食の時間前を過ごしました。
この船旅はエンターテイメント、ダンス、カジノ、カラオケなどあって楽しい時間を過ごせるのです。父島の港に停められず小型船で波止場に往き来し乗船客降ろしたのです。私たちは一番に下船しタクシー会社に駆け込み、少し待ってタクシーで島巡り手配したのです。1時間位で父島の見所を運転手さんのガイドで観て回り、印象的なのは、敗戦濃くなった父島の人たちが、艀を使えず強硬に引き揚げ船を湾の砂浜乗り上げ、その運搬船の姿は歴史のヒトコマであったのです。ガム島からのB29爆撃に曝され凄惨であったのでしょう。その運搬船が70年の歳月の中で、潮風に曝され消えてしまったニュース観てア~アと思ったのは私の感傷でしょうか。広島の原爆ドームの保存の大変さを感じたのです。
歴史の中で、意図的に消されて行くのでしょう。戦後史を教えられないのも米・フーバー大統領の戦争をやりたくて狂人じみた行動もやっと歴史の下にさらされ公表されたのです。マッカーサーやトルーマン大統領も引き継いだのです。
真珠湾攻撃を仕掛けたのもチャーチルです。チャーチルは、真珠湾攻撃が実施された時ワイン飲んで微笑だのです。ウエルカム、パールハーバーなのです。うまく罠に嵌めらたの日本なのです。