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鎌倉時代の当代一の白拍子、静御前の墓参りに行ってきました。

2014.05.07 (水)

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ご連絡お待ちしております。
日本には昔から同様に甍の波ありました。
最近は、街並みを保存して町おこしをしています。
街並みの中でも、京都の円山公園から、清水寺の二年坂
産寧坂のあたりは、甍(瓦)の街並みが美しく、東京では
浅草・浅草寺の仲見世の霧除け屋根が粋な通りを演出しております。お暇なときに「スカイツリー」を見ながらそぞろ歩きもよいですよ。
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何時のの時代でも、人々は悲恋の恋を
悲しみ、傷み戯曲化いたします。

静御前のお墓も至る所にありますね。
かって、この栗橋のも、
静か村という地名が残っておりました。

かって、久喜市栗橋にあった高柳寺(現、古河市光了寺)に静御前の記載された過去帳があり、厳松院殿義静妙源大姉の静御前の
戒名があるといいます。

しかし、静御前の記述がみられるのは、
時の執権「北条氏」が自らの権力の誇示として、
編纂された「東鑑」だけであると言われております。

当時の貴族などの日記に替わる物には、記述は見られないそうです。

これは、頼朝死後、権力が源氏から北条氏に
移行した表れでしょう。

でも、静御前は白拍子として、義経の寵愛を受け、
鶴岡八幡宮の頼朝の御前で、追討の義経をはばからず、
「しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな]
頼朝は激怒し、それを政子が自分とて
同じことをするでしょうといさめるのです。

有名な話ですね。

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ファイル 1219-1.jpg
宇都宮線、栗橋駅近くの静御前の墓標

ファイル 1219-2.jpg
静御前の悲恋を哀れに思い、植えられたという
松か何かの巨木も江戸時代には、
利根川の洪水と夏の日照りで枯れたと言われている
古墳の図

ファイル 1219-3.jpg
近年建立された静御前の墓標の前で

                           
ファイル 1219-4.jpg
静御前の言い伝えを伝承する説明板

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