天高く馬肥ゆる秋・・・・・。
我が家の庭にもアキアカネが
百合の花が終わり、実をつけ始めた
小枝に止まって、夫婦の絆を見つけていた。
何処かふらりと出かけたくなり
妻と車に乗った。
クルマは、妻の実家の方向に向かって走っていた。
小1時間走って、一度は行ってみたいと思っていた
妻沼聖天様につい来ました。
聖天様は、日本3大聖天と言われ、
今でも参拝客が絶えません。
建立は源平合戦の始まる前、治承3年と言われております。
まだ、このころは、公家が政治を行い、武士は
公家の番犬の様な存在でした。
その頃.朝廷内で、皇位化粧問題に端を発した、
保元・平治の乱で、源氏は敗れ、
源頼朝は常盤御前の命乞いの結果、
平氏の力のある、伊豆の蛭ヶ小島に流されたのです。
後に頼朝を担いだ小豪族の北条時政は平氏なのです。
周りには、伊東市などの有力平氏の豪族が
ひしめいていたのです。
そんな時代背景を想像してください。
もともとは源氏であった斉藤実盛は
平治の乱で源氏が破れたにもかかわらず
義の武将だったため、長井庄(熊谷)を安堵され、
源氏の木曽義仲が旗揚げしたにもかかわらず、
平家側について、倶利伽羅谷の合戦で、
敗れ、篠原の戦いで討ち死にいたします。
その時、斉藤実盛は73才、当時としては
すでに隠居の身、白髪を恥、墨で染めて戦に臨みました。
篠原の戦いで、敗走する平家軍を顧みず、
1騎踏みとどまり、義仲軍に立ち向かって、
最期を遂げたのです。
木曽義仲が首実検で不審に思い、
池で首を洗ってみました。
墨が落ち、見覚えのある命の恩人「斉藤実盛」の首でした。
(現在の石川県加賀市柴山町の池)
義仲は、周りをはばからず、命の恩人を
殺めた、自分の愚かさに号泣したといいます。
かって、旅行で行ったことを思い出しながら
見てまいりました。
我が家の庭に羽を休める秋あかね
長井の庄と呼ばれた頃の聖天様の鳥瞰図
利根の流れと筑波の峰がよくご覧になれます。
山門の仁王像
聖天様拝殿
さいたま県久喜市の屋根屋の粋なおっさん
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