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記事一覧

蔵の町、行田を紹介します。

2011.03.11 (金)

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連絡は0120-58-9901 または0480-58-0301
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『久喜の瓦屋さん雨漏り奮闘記』太陽光発電(ソーラー)もやってるよ。

かって「足袋は行田か、行田の足袋」かと言われたくらい繁栄しておりました。

それが光子が小学校高学年になる頃、日本も下駄から靴に履物が変化して行くのです。
それに伴い、足袋から靴下にと変わってゆくのです。

そのうねりの中で、足袋工場は1件、2件、3件と倒産の勢いを増して行ったのです。

光子の話ですと、どうにかできないのかと子供心に思ったそうです。
中には遠くの親せきを頼って学校を辞めていく友達もいたそうです。

光子の義姉の家も倒産して染工所を閉鎖したそうです。
義兄は車が好きだった関係で、タクシーの運転手になって家計を何とかしたそうです。

染工所が隆盛を誇っていたころ、昭和30年頃、まだ車に乗る人が
いなかった頃です。
義兄は子供や光子を乗せてスポーツカーでドライブをしたそうです。
すごくカネ回りが良かったのでしょう。

でも人生、いいことは長く続かないものですね。

行田の足袋は、今で言う、各工場ごとに作業が単純化され、町全体が流れ作業の工場の機能をしていたのです。
日本の全生産量の90%に及んだそうです。
それが出来たのも、藍と綿の生産地が近在に有ったからです。

そして、利根川の水運を使って江戸に運んだのです。
蔵の数では埼玉県一かもしれません。
数にして100件は優に越えます。
良く見て歩きますと、明治村にあるような瀟洒な洋館も見られます。

行田は歴史の息付く街です。
自転車でも借りて足を延ばすのもいいでしょう。
市役所の近くの水上公園はかっての「のぼうの城」の時代の湿地帯を公園化したものです。

そして、最後にB級グルメのフライを賞味してお帰りになうのも、ちょっとした小さな旅の思い出になると思います。

TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

ファイル 821-1.jpg
重厚な4カ所の扉ある2階建の足袋蔵です。

ファイル 821-2.jpg
大谷石で築造された2階建の足袋ぐらです。

ファイル 821-3.jpg
瀟洒な円形ドーマーのある永井写真館

                           
ファイル 821-4.jpg
5連棟続きの足袋蔵
こんな連棟の蔵は全国でも珍しいと思います。

ファイル 821-5.jpg
埼玉銘菓「十万石」の本社です。
400m以上離れたところから引き屋の職人がレールに乗せて移築したものです。
職人の技に驚くでしょう。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
当社ホームページはhttp://www.ogiya.co.jp です。
クリックしましょう。
太陽電池モジュールは寿命が長くて、お得ですよ。

連絡先は埼玉県久喜市
FD 0120-58-9901 

行田市には崎玉古墳群のほかに内部を見られる古墳もありますよ。

2011.03.11 (金)

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行田市には色々な古墳群があります。
石田三成が陣を敷いた丸墓山は崎玉古墳群として、宮崎県・岡山県のある古墳群と並んで、日本三大古墳群の一つで、世界遺産に登録しようと、市民が一丸となって、その輪を広げております。

ところが、古墳の内部が見学できる、しかも、聖徳太子につかえていた、物部連兄麻呂(モノノベノムラジエマロ)と言う人物まで分かる立派な石の玄室まで見学できる場所をお教え致します。

場所は国道125号線を久喜方面から熊谷方面に向かって(バイパスではありません)富士見工業団地の藤原町二丁目交差点を左折して下さい。気お付けつけていきますと案内板が見えてきます。
埼玉県の史跡で畑知事の揮毫による石碑も見えます。

この古墳は奈良県にある蘇我馬子の石舞台に匹敵する規模です。
一度見学する価値はあります。
土日祝日のAM10:00からPM4:00でしたら中に入ることもできます。
この素晴らしさにもかかわらず、(埼玉県の公園ですから綺麗に整備されております)見学者はだれもおりません。
独り占めできますよ。

関東の石舞台と言われ、長瀞の緑泥片岩で重さ63トンもあります。
荒川の水運を利用して、筏を組み、鴻巣市あたりで修羅(修羅場はこの修羅を引くときの形相を表しているのです)と言う大きな橇(ソリ)のような物を作り、付き固めた道に丸太をコロように並べ道を作ります。
そのコロを相互に入れ替え、修羅の舳先の2人の勢子が丸太の道と修羅の間に滑石を砕いた石粉を撒きながら何百人と言う人々が引いたのです。
当時は、ロープはありません。
若い女性の髪の毛で編んだロープを用いてひっぱったのです。

この時代の人々が、重機もないのに、こんな巨体な工事が出来たのです。

この大きな石を組み合わせて築造した様子を思いはせて下さい。

宿題です。光の大きな石組をどのようにしてくみ上げたかです。
古代のロマンは尽きないでしょう。
埼玉の変な瓦職人です。
宜しくね。

TEL0480-58-0301
ご連絡お待ちしております。

ファイル 820-1.jpg
関ヶ原時代の鉄砲、大筒の訓練風景。
米たわらがどうしてあるか分かりますか。

ファイル 820-2.jpg
関東の石舞台と言われる八幡山古墳

ファイル 820-3.jpg
発掘調査後の石組は小さくなって復元されましたが良く見て下さい。
元は巨大な石組で出来ていたのです。
元に復元できなかったそうです。

                           
ファイル 820-4.jpg
石の玄室は同時のままです。
すごいでしょう。

ファイル 820-5.jpg
昭和初期の時代の忍町(現在の行田市)街並みです。

太陽光を推進しよう会の「新瓦博士」
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